ここまで、クリティカルに考えるための、初歩の初歩を紹介してきました。まずは情報の授受を正確に行うことだと述べました。

さて、では次にはどうするのか。情報の授受だけでは、単なる情報共有だけに終わってしまいます。もちろん、シェアすることは大切です。でも、何のためにシェアするのか。ここまでは目的を明示していません。そこで、何かの目的や課題を解決するために、手に入れた情報をどのように使うかのトレーニングを行っていきます。

例えば、クラスで問題が生じた場合、その解決をみんなで図るとします。こんなことは、日本の教室内でも起こりますね。こんな時とうするか。まずは問題を整理します。つまり、どんなことが起こったのか、事実を確認します。ここで情報共有トレーニングの成果が期待できますね。場面別に、時系列に沿って事実を並べていくわけです。この時に、できるだけ感情的な部分を出さないようにします。

情報共有をする過程で、事実と異なることが挙げられていないかをチェックします。つまり、本当に時系列に沿っているか、漏れはないか、重複していないか。そう、ここがクリティカルな視点のおおもとです。単に懐疑的になるのではなく、自分の持っているデータと照らし合わせる、食い違っていないか確認する、ということです。その結果、何が問題かを明確にし、各個人がどうしたいのか「意見」を述べるわけです。

さて、ここで事実と意見が異なることが明らかになります。つまり、事実とは、ここでは過去に起こった現象であり、その記録(記憶)をたどれば何が起こったかが共通認識できます。つまり、確かにその事実があったということがわかる「手立てがある」わけです。それがノートの記録やクラスメートの記憶であるかもしれません。トラックバックできる証拠があること、これが事実(Fact)。対して、意見とは、こうした事実を基に導き出した、個人の見解(Opinion/Idea)です。

個人の見解は事実に基づいて形成されます。別の言い方をすれば、「私は・・・と思う。なぜなら、こんな事実があるからだ。」ということになるわけですね。つまり、理由となる事実の部分は共通認識されているので、反論できない。(もちろん、不適切な引用は話が別ですが。)だから、「私は・・・と思う。なぜなら、・・・と思うからだ。」となると、理由自体が意見になってしまいます。これでは困るわけです。だって意見を意見でバックアップすると、今度はバックアップした意見の根拠(事実)が必要になるからです。ちょっとややこしいですが。

ということは、まず意見を適切な事実でバックアップしていなければ、「おかしいぞ」と感じ、また、意見を意見でバックアップすると、「おかしいぞ」と感じるようにトレーニングするわけですね。そう、これもクリティカルな視点なのです。先ほどの事実確認よりも難易度が上がりました。

では、どうやってこのクラスの問題を解決していくのか、は次回に。