鮫島慶太鮫島慶太

東大でのシンポジウムに参加してきました。

2019年2月10日に行われたシンポジウムに参加してきました。

会場は満員で全国各地から多くの方々が参加していたようです。

以下、内容を共有させて頂きます。ただ、まとめた私の主観が多分に反映された内容になっている点はご理解下さい。

センター主催シンポジウム「大学入学者選抜における英語試験のあり方をめぐって(2)」

日時 : 2019年2月10日(日)13:30~17:30 (17:40過ぎまで延長)
場所 : 東京大学本郷キャンパス 伊藤国際学術研究センター・B2 伊藤謝恩ホール

<趣旨>
2024年度以降の存続の是非が検討されているセンター試験「英語」について、作成・実施体制からテストとしての性能、高等学校におけるテスト対策の実施まで、振り返ります。また、間近に迫った民間試験導入の課題や、高等学校による英語運用能力の評価についても吟味します。

<研修内容報告>
□ 開会の挨拶 石井 洋二郎 東京大学理事・副学長
□ 講演
① 南風原 朝和 東京大学高大接続研究開発センター長 英語入試改革の現状と論点

文科省からの発信、国大協の発信、各国立大学の対応と発信、東大新聞や朝日、毎日、日経などの報道を時系列で振り返り、論点を5つにまとめるという内容。特に目新しい発信はなかったが、文科省発信が民間4技能試験を「認定」したのではなく「要件を満たすことを確認した」という発信に変化したこと、岩手県立大学のように認定試験利用から利用せずという方針変換をした例もあること、名古屋大学のように「出願要件として受験生にA2以上の資質があることを簡単な書類提出のみ(高等学校名・印のみの書式)にしたことなどの細かい情報を確認出来た(ネットの発信で既知のものばかりだったが)。後半の討論では司会であったこともあるが、前半の講演でも後半でも個人的意見の発信はほとんどなかった(民活決定までのプロセスについて大きな問題意識をお持ちの点は伝わってきた)。

② 大塚 雄作 京都大学名誉教授/大学入試センター名誉教授 大学入試センター試験はどのように作成・実施されてきたか
センター試験の作問、実施にまつわる苦労話が中心。50万人を超える受験生に実施する試験の作成・実施がいかに大変であったかを具体的な例を挙げながら説明(これは私なんかの想像を遥かに超えたプレッシャーなんだと思います)。「受験生のマークシートを2度読み込み、0.1%の確率で起こる結果の不一致があった場合には目視で確認する」「リスニングの2回読みは日常的雑音の可能性を考えた上での措置という面もある」など初めて聞く内容もあったが、「事故があった場合の対策としてのリスニングの2回読みという解決法が試験の公平性を損ねないのか?」「現役生の願書とりまとめを高校教員が無料でやっていること、大学側の試験当日の人件費の詳細はどうなっているのか」の2点について疑問に感じ、2点目を「質問用紙(質疑応答は不可だったので)」で質問したが、回答は得られなかった。また、現状のセンター試験の課題の1つとして、「現役と浪人の平均点格差の拡大」があるが、これは「センター試験を受験しても全く利用しない現役生が約22.1%=10万人程度存在すること」が要因であるという説明があった。この点は知らなかったので参考になった。また、「センター英語」が理科・社会の得点調整時に得点比較の検討づけのための核として使われていることも発信があった。「センター英語」の存在意義を強調する材料としての発信であったが、本質からズレている印象を持った。後半の討論では、「センター試験を文化遺産として保存し活用すべき」という参加者からの要望が紹介された。新テストにおいても、作成・実施のノウハウや経験は引き継がれていくことが確認された。
③ 荘島 宏二郎 大学入試センター研究開発部准教授 センター試験「英語」はどのような試験だったか
センター試験を各種統計的手法を用いて検証する内容。ヒストグラム、相関図、相関構造(ペアワイズ削除)、相関構造レーダーチャート、探索的因子分析(Mplus,ML,Geomin)、階層的FA(Amos,FIML)など後半の分析法は見たことがないものだったので興味深かった。荘島先生の仮説ではあるが、「英国=言語能力」を土台として、その上に「基礎学力」、その上に理数・古典が乗るという学力の構造モデルは、現在話題になっている新井紀子氏のRSTに通じるところがあり、今後の学力向上策を考える上で更に研究してみたいテーマであった。
後半の討論時の発信が非常に興味深かった。「新テストでは、センター試験で実施されていた、大問①=音声 大問②=文法が消えることでセンター試験の持つ高い識別力と信頼性(アルファ係数)が損なわれるのではないか?」という質問に対して、「確かに現行センター試験の識別力と信頼性に大きな寄与をしているのは大問②の文法であるが、英語の試験の妥当性として、その出題が適切であるかどうかの判断は試験の専門家の我々には出来ない。そこは英語教育の専門家に任せる。自分たちは、妥当性がなくても識別力・信頼性のみが高ければ良いとは考えない」という回答があったが、プロとして素晴らしい姿勢であると感じた。また、「民間試験の活用を残念に思わないか?」との問いに対しては、「センター試験がカバーしているのは全受験生の約44%であり、全受験生を拾い切れている訳ではない。民間試験が残りの56%の受験生に広くチャンスを与えるのであれば、併用には反対ではない」との発信もあった。試験設計におけるプロ意識に加えて、「試験の社会的意義」を十分に理解した発信も素晴らしかった。

④ 松井 孝志 山口県鴻城高等学校教諭 高等学校から見たセンター試験と民間試験の「英語」について
「英語語教育の明日はどっだ?」という人気ブログで知られる先生(私は数回覗いただけですが)。山口県の私立高校で勤務する前は都立高校、東京都の私立学校での勤務歴有り。「四技能」「二技能」の前に「英語という言葉」そのものへの関心を生徒に持たせたいという発信。模擬試験の酷さ、センター試験の酷さ、酷さを検証出来ない民間試験の問題など、「従来型試験・民間試験のどちらも是々非々で斬っていく姿勢」が今回のシンポの予定調和を崩しているように感じて清々しかった。また、現行のセンター試験対策でも地方の学生がどれだけ不利な条件にあるか(校外実施の模試受験は遠隔地での受験になる)についての内容が実にリアルに語られ興味深かった。民間試験導入が入試における格差を招いているとの声があるが、不公正・不公平は現状でも既に存在していることの実例として興味深かった。「バーを上げても記録は伸びない」「健康診断は大切で有益だが、診断ばかりを繰り返しても健康は増進しない(=試験勉強ばかりではなく英語そのものの日常の学びを大切に)」という言葉で発表が締めくくられた。

⑤ 亘理 陽一 静岡大学教育学部准教授 高等学校による英語運用能力のアセスメントについて

教員免許・検定資格試験受験経験・英語圏留学経験一切無しが自慢の先生。だが、外部試験導入反対の立場と言いながらも、現場の授業設計や行政との連携による授業アップデートの話が大半。民間試験が悪いというより、「民間試験に合わせて工夫のない授業展開をすることの愚」の方を糾弾する場面が多かった。また、「A2レベルの証明書を高等学校に課す名古屋大学の対応を絶賛する東大阿倍教授のTwitterを紹介しながら、当面の混乱を抑えるには良いのかも知れないが、この発信が「現状信頼されていない公教育や教員」に対する社会的信頼を更に深刻なレベルで失わせることになる可能性を考えれば、長期的には大きなマイナスになりかねない」との警鐘を鳴らした(阿倍先生にも悪意があっての発信ではなく、現場の混乱への配慮ではあると思うのですが)。会場に阿倍教授が参加していることも承知していながらの発信であったが、A2の診断を実際の授業でいかに行うのか?について具体的な教材の例を用いて説明し、自身の指摘の妥当性を十分な説得力をもって語っているとの印象を受けた。いずれにせよ、妥当性・信頼性のある「判定」を教員に課すのは現状酷であること、アセスメント能力の涵養はこれからで教員側の経験値も必要な時間も不十分であること、「追い風参考記録(教員が行う日常の活動評価は生徒のモチベーション向上を狙って甘めに評価すること)」でもよいという能力観の妥当性をどう考えるべきかといった鋭い問題提起が次々となされた。
後半の討論では、私から提出した質問への回答があった。私の質問は、「公教育として十分に意義を認めて貰える英語教育とはどういうものか?」という内容。それに対しての亘理先生の回答は以下の通り。「機能していない授業の多くに共通する特徴は、教材と活動の有機的な繋がりが薄いということ。下支えとなる学習活動・求められる技能の使用経験を積む言語活動が単元にないにも関わらず、独立したSpeaking活動がなされるといったことが多くの実態としてある。海外の教材では学習者の経験や背景知識について十分な配慮がされているものが多い(嘘はいいか悪いか等生徒が日常で考えられるレベルのテーマ等)。こうした点の改善が必要ではないか?」私の疑問の全てにお答え頂けた回答ではなかったが、現在取り組んでいる教材・授業の私案にリンクする点が多く、心強く感じた。また、行政と連携し、上手くいった活動や評価の例をデータベース化して広く共有しようという亘理先生の取り組みは、オープンイノベーションの典型として非常に魅力的に感じた。

⑥ 笹 のぶえ 東京都立三田高等学校長/全国高等学校長協会長 これからの大学入学者選抜に望むこと
ほぼ資料通りの進行と内容。民間試験実施の決定の後、具体的な内容についての発信がなかなか出てこない現状で現場がいかに苦しい状況にあるか、またそれにも関わらず、現場はやることを前提に、「少しでもよいものを」ということを願うことしか出来ないという苦悩を発信した内容。お立場もあったと思うが、スライド内容の読み上げに近い発信だったのが残念。

東大副学長の石井先生は、後半の討論で論点を整理する役割を担いながら、個人的な想いを吐露されていた。「民間試験活用については、まだ引き返せる。引き返すべき」とのお考えをお持ちであることがよく伝わってきた。ただ、東京大学も一枚岩ではない。南風原先生や石井先生が、どれほど熱心に自らの想いを発信しても、東大にも様々な考えがあり、国大協や学術会議で別の発信があれば、意見が実現することはない。僭越な言い方であるが、このシンポジウムが単なるガス抜きにならないことを期待したい。

 

さて、2018年3月にESN英語教育総合研究会で私自身が「民間試験の活用」については、かなり強い論調で否定した。当時は、民活について現場の教員ですら関心がまだ高くなかったしマスコミの論調も「国公立大は理解不足」というレベルで試験の中身や実施環境についての問題意識もほとんどなかったように思う。2018年の夏頃を境に、東大が活用せずとの意向を出した辺りから論調も変わってきたが、私自身は秋の未来の先生展、年末のTOEFLアライアンス総会の発表と進むにつれて、民活の是非の問題は興味の対象ではなくなっていった。

なぜそうなったか?多くの貴重な出逢いを頂いたことがきっかけであるが、本質的な問題ではないと自分では認識するようになったからだ。もちろん、民活による混乱の被害者が多く出ることは看過出来ないし、現場の一教員として自分の生徒であるなしに関わらず不利を受ける子ども達が出ることを、「仕方がない」とは到底思えない。試験が公平・公正に行われるべきだという考えに変わりはない。

しかし、公平性という問題については、松井先生もご指摘の通り、今の日本では民活と無関係に、既に確保されているなどとは言えない状況である。そもそも経済格差、地域格差が指摘されてから10年以上が経過している。首都圏の大学での地方生の占有率が極端に落ち込んだのはリーマンショック(2008-09)あたりの頃であり、10年も前のことである。リーマンショック以前にもバブル崩壊後、ジワジワと格差が広がっていたことを考えると、この問題は長い間放置されてきたのだ。それを民活が話題になった途端に大騒ぎする。欺瞞というか偽善というか…自分の反省を含めて。いずれにせよ、公平性の問題を民活の問題に矮小化すべきではない。

また、試験の精度ということについても、民間試験の多くが欠陥品と呼ぶべきものだという判断に変わりはないが、そもそも試験の精度を高めて人材のスクリーニング機能を極限まで追求することが、日本の人材活用にとって最善なのか?という疑問を持ち始めた。18歳~20歳の間までに、与えられた課題をどれだけこなせたかで選別することが現在の日本において、本当に妥当なシステムなのか?そもそも厳しいスクリーニングをくぐり抜けた先にある日本という国の持つパイはかつてのような終身雇用すら保証できない程度のものである。また、AO・一般推薦の拡大により、人材の選別の精度はもはや信頼に値するとも言えない。今回の教育改革の発信源である財界自体が、「日本のエリート選別システムの中で生まれ、グローバル市場で負けまくって、気の遠くなるような損失を出しても居座っている」状況を考えれば、「自分のようになっては駄目だ~」と言っているに等しい発信であるとも取れる。まあ、正直にそう言って貰い、お金をきちんと出してくれるくらいはして欲しいものだが。

脱線したので戻るが、今後の労働市場の流動性が高まるであろうことも合わせて考えれば、「必要だと思った時に活用出来る場」としての大学の意義が新しく創られるべきではないのか?願わくば、労働力が高流動なだけでなく、資本家も産業分野さえ流動させる仕組みであること、やり直せる保証を国家がきちんと国民に与えること、これらを実現している北欧型の社会に日本が進化し、その中で誰もが学び続けることの意義を実感出来るシステムの構築こそ必要なのではないか?いつまで試験の精度の追求に無駄な(と言ったら現場の方に失礼ですね。でも尊い努力を無駄にしたくないからこそ、敢えてそう言います)時間を掛けるのか?

財界発想の改革に対して、大学から今後の日本の進むべき道や目指すべき姿が発信されないことがとても残念である。そうしたVisionの構築力は、大学にいる多くの優秀な人材であれば私のような凡人には到底及ばないレベルで持っているはず。今後の大学発信の改革に期待したいと再度思ったシンポジウムであった。

さて、個人的には、このシンポジウムでも貴重なご縁を頂けたことが最大の収穫だった。私のしょぼい人生は、本当に人との縁に恵まれている。今回の出逢いにも心から感謝したい。

この記事を書いた人

ESN英語教育総合研究会

ESN英語教育総合研究会

ESN英語教育総合研究会は、次世代の英語教育ファシリテーター育成を支援するためのポータルサイトです。関東と関西を中心とした全国規模の研究会の実施や、教材や授業実践などの情報交換を通して全国の先生方のネットワークの構築を目的としています。英語教育に関わる各種研究情報や研究員のブログなどを配信いたします。

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