ESNのホームページでも事後の報告がありましたが、私自身も楽しみにしていた本弓先生の体験授業、無事に終わりました。
当日は勤務校から6名の生徒が参加してくれました。高校2年生は校外学習で横浜から。実は私もです。なんとか間に合うことが出来ました。
授業はアイスブレイクを含めて1時間程度。
①30年前と今:あるものとないもの
②100年前と今:あるものとないもの
③100年後に今あるものを残すには?
初めての生徒、教員の見学という環境で授業をするだけでも大変なことだと思います。しかも今回の生徒達はIBの教育を受けたことが1度もない子達です。ですが、本弓先生は『思考を柔軟化する』、『混沌を心に抱える』ということを初めての生徒相手に実現する様を普段通りに見せて下さいました。
IB認定校の先生の授業ということで、TOKのような哲学的な問いに生徒が脳みそに汗をかきながら取り組む、といったことを期待していた先生方もいらっしゃったかも知れませんが、そもそも今回の教材と対象ではそれは難しい、というより今回の企画を通して、私たちの思考も日常の学校内の授業の枠組みにかなり縛られていることを私自身は改めて感じさせられました。それこそが本弓先生が狙ってらっしゃったことなのかも知れません。
□ 授業をしたら生徒が変わるものだ・成長するものだ
□ 授業をしたら生徒の変化を評価しなければならない
□ 授業をしたら生徒はそこから「形のある」得るものがなければならない
私たちは日常の教育活動において、そうした「学校・授業」というものを当たり前だと考えることになれているのかも知れません。しかし、人が覚醒する時、成長する時、というのは、そういう単純な力学ではなく、むしろ「日常」という球体が揺さぶられるような体験や出逢いがトリガーとなる。
「これまでの日常」を破裂させて混沌から形を作るのはあくまで学習者自身だということを私たちは普段あまり意識していないのかも知れません。だから、「探究」=PBL→資本の求めるイノベーションやアカデミズムの求める研究に着地させようとする。経産省の「未来の教室」で語られたような「大人の課題を子ども達にぶつける」といったコンセプトも、全否定はしませんが、大人の課題を形にして子ども達に考えさせるということ自体で、既に「探究」や「子ども達の成長」を阻害してしまっているように思います。
混沌を内に秘めた人こそ躍動する星を生み出すことができる ニーチェ
本弓先生、ありがとうございました!