ESN総合代表の久保先生が翻訳監修されている
「TOK(知の理論)を解読する」を読み始めました。
http://www.amazon.co.jp/dp/4865310991
まだ前半ですが、面白いですね。
これから学問をする大学生はもちろんですが
受験勉強をする高校生にもぜひ読んでほしい本です。
私自身は学生時代に「現象学」に興味を持ち
独学で学びんだ頃のことを思い出しました。
「真実」だと思われていることの土台が
いかにあやふやなものなのかを感じ
「知る」ということがどういうことなのかを
あーでもない、こうでもないとひたすら考えていましたね。
TOKは哲学を学ぶというより、諸問題への哲学的な
アプローチを教育の場でどう実践するかを提示してくれる
ような予感がしています。
まだ前半しか読んでいないので
あくまで「予感」ですが・・・。
さて、今回は以下の記事を私の我流CT的なアプローチで
読み解いていきましょう。私の勝手なTOK実践例です(笑)。
「同一労働同一賃金」の問題です。
卒業生の中にもアルバイトを始めた生徒も
いるようなので、是非興味を持って読んで貰えれば幸いです。
まずは以下の記事から。
「同一労働同一賃金」で企業が恐れる「給与差」立証責任
人事の目で読み解く企業ニュース【44】 2016.4.8
http://president.jp/articles/-/17774
記事の詳細はリンク先で読んでいただくとして
以下の点を押さえて考える必要があるでしょう。
□ 「同一企業内の」同一労働同一賃金を目指す改革であること。
□ 正社員と非正規社員の格差解消を目的とすると提唱されていること。
□ 過去の裁判判例では「同一賃金同一労働でなくてもよい」との司法判断が日本では優位であること。
□ 欧米では「同一労働同一賃金」が原則であるが、例外も認められていること。
□ 政府が目指す法改正では、「同一労働でも同一賃金でないことの根拠」を労働者でなく
雇用者(企業側)が立証責任を負うこと。
さて、小難しくしても仕方がないので、少し話を具体的にして
問題を分かりやすく考えてみましょう。
アルバイトで時給1,000円で働いたとします。例えば、コンビニのレジ。
同じ仕事をする正社員がいて、時給に換算すると2,500円貰っていたとします。
当然、アルバイトの方は不公平感を持ちますよね?
あのおばさん、私よりレジ打ち遅いのに、なんで私よりお金貰えるの?
まぁ、それは大目に見るとして、同じ仕事しているのに、どうして
私よりお金貰えるのよ?納得いかない!
この主張に正当性を認め、「同じ仕事をしたら、正社員・非正規に関わらず
同じ賃金を貰えるようにしよう!」というのが今回の改革の趣旨。
だと、見えますよね?もし、違反して裁判になったら、企業側に同一賃金
ではないと判断した根拠の立証責任まであるのですから、非正規労働者に
大いに有利な改革に見えます。
もしかしたら、選挙権を持つ年齢が18歳に引き下げられたことで
若年層の支持が欲しいから打ち出された政策なのかもしれません。
まぁ政治的な判断は別として、ほとんどの人は
□ 同一労働なら同一賃金であるのは当然
□ 弱い労働者を守るために、企業側に給与格差についての説明責任があるのは労働者側に有利
□ 自分が得をするかどうか?
といった程度でこのニュースを捉えてしまうのではないでしょうか?
でも、TOKやCTといったものに触れて勉強している人にはきっと、別の捉え方が生まれる可能性がある。
① 「労働」を「同一」を判断する根拠は何か?
「労働を同一」と判断出来るとすれば、「労働」は数値化、または客観的評価で測定可能でなけ ればならない。
② 「同一賃金」ということは、「全体賃金の上昇」を必ずしも意味しない。正規社員の給与を
アルバイトと同じにしても「同一賃金」は実現可能。
③ 日本の司法は何故「同一労働同一賃金」でなくともよいと判断してきたか。欧米の労働市場
と日本の労働市場の間に相違はないのか?
こうした視点や疑問を持ち、考える根拠とするのではないでしょうか?
それぞれの視点・疑問点について簡単にまとめてみましょう。
①ですが、「同一労働」という言葉で、私たちは「全ての労働が比較可能、数値化可能なもの」
という「幻想」にミスリードされてしまいます。
同じ仕事なら同じ給料でしょ?
でも、ちょっと考えてみれば、「労働」はそんなに簡単に「同一」と判断出来るものではないですよね?
レジ打ちの仕事でも、ちょっと気を付けて観察していれば、センスのある仕事をする人とそうでない人がいる。相手のことを考えてスキャナーを通した商品を籠に入れる人もいれば、雑な人もいる。
客の顔を覚えて、相手にあった接客が出来る人もいる。愛想がなくて不愉快なレジ係がいるから
あそこの店では買い物したくないと思われる人もいる。
「同一労働」という観念は、「労働」から「他者との比較を可能にする単純に数値化出来る労働」
以外の「労働」を全て排除する可能性がある。
「経験」も「センス」も、その世界では意味を持たなくなってしまう。
もちろん、私は「正規」と「非正規」の給与格差を肯定しませんし、「人件費カットの有効な手段」
として「非正規」を活用する企業や組織が大嫌いだし、「社会を悪くする元凶」だと考える立場です。
ただ、改善を目指す立派な方策であっても、別の問題を生みかねないのだから、慎重に検討すべき
だと考えますね。
②は直感的に「やばいのでは?」と感じました。
「能力給」「仕事給」といったことが叫ばれた時代があります。
「仕事してる労働者と仕事してない労働者が同じ給料ではおかしいだろう?」
一見正しそうに見えますが、これを悪用した企業もあったんですね。
よく働くAさんに100万、あまり働かないBさんに100万払っていた企業があったとします。
Aさんの不公平感を利用して、社長はAさんに120万払い、「君は優秀だから」と褒めます。
で、Bさんには50万払い、「君は仕事出来ないから」と厳しい姿勢で臨みます。
さて、一番得をしたのは誰でしょうか?
もちろん、200万の人件費を170万にした社長ですよね?
全体の人件費を下げることが目的で、仕事をする人の待遇を良くするというのは
手段でしかなかったということです。
仮にAさんとBさんがこれまでのパフォーマンスの120%の仕事をしたとしても
全体の給与を120%にするという選択肢を取る企業はあまりなく、
「能力給」「仕事給」が上手く機能しなかったケースも多く出てしまいました。
今回の「同一労働同一賃金」は果たして、全体の「賃金」を上げることを目的にしている
のでしょうか?あるいは、当初の目的がそうだったとしても、全体賃金の引き上げを実現
するのでしょうか?
景気回復のためには、労働者の賃金を上げ、消費活動を活発にしなければならない。
消費活動が活発化すれば税収も増え、経済が活性化し、成長も見込める。
しかし、ルーズベルトがニューディール政策の中で最も苦労したのが、労働者の賃金の引き上げ
でした。不景気、デフレを改善しようと公共事業を増やし、雇用を作り…。
私は経済の専門家ではありませんが、世界史を勉強すると、「アベノミクス」がやろうとしている
こともルーズベルトと同じようなことではないかという気がします。
でも「歴史は繰り返す」の言葉通り、ルーズベルトがぶち当たった壁と現在の日本の政策が
苦労している壁も同じ・・・なのかもしれませんね。
先ほどの「仕事給」「能力給」の例のように、今回も良かれと思ってやったことが
全体として見れば労働者の不利益に繋がらなければよいのですが・・・。
「ルサンチマン」、つまり人の負の感情を利用して権力者が私腹を肥やすパターンは
もう見たくないものです。
③については記事の中で触れられているので、そちらを参考にしてみて下さい。
同じようなタイプの工業国でも、「消費活動に積極的ではないドイツ」
と「内需が大きい日本」ではグローバル市場の必要性が大きく異なるため
企業のグローバル化に対する意識が異なるのと同様に
置かれている環境の違いを無視して議論をしても意味がないですからね。
「同一労働同一賃金」・・・こんな当たり前のことが何故日本では出来ないの?
といった単純な思考ではなく、
「自分は他に比べて損をしているのでは?」
といった単純なルサンチマンにとらわれるのでなく、
きちんと考えて、きちんと判断出来るようにしたいものです。
自分自身への反省も含めて、考えてみました。