鮫島慶太鮫島慶太

LT(Logical Thinking)&CT(Critical Thinking)教育が目指すべきもの

TVが登場したばかりの時代よりも「日々情報化が進む現代」においてLTスキルやCTスキルが、どこで生きるにせよ、特に重要なスキルであることは私のように日常に埋没している人間にもそれなりに実感として感じらるようになってきたように思います。

もちろん、私個人について言えば、
LTやCTに関する理論や実践方法についても
まだまだ知識や理解、何より経験が不足しているので、
当研究会の研究員としても、現場の教員としても、1人の人間としても、
学び探求し続けていこうと思っています。

また、特にこの分野の学びについては日本の教育全体も
相当遅れているように思います。

英米の小学生用の教科書を見ると、低学年の段階からLT/CTのスキルを重視し時間をかけて訓練されていることにただただ驚くばかりです。
こうした教育の延長線上にSATのreasoning test(2016年改訂)などがあることを思うと、
「現状の日本の教育は大きく変わらなければ駄目だ」という危機感も強く感じます。

ただ、その一方で、ずっと私の中で消えなかった問いがあります。

「LTやCTを重視する文化になぜ好戦的だと思われるような歴史や外交が目立って見受けられるのか?」

イギリス、ドイツ、アメリカ…。

LTやCTを重視しない文化でも好戦的な文化はあります。
ただ、LTやCTが目指す世界は「平和」「協調」であるはずなのに・・・。
なぜ?

□ LTやCTが重視されている文化でも、まだまだ教育の成果が不十分だから。
□ LTやCTと闘争本能的な部分はチャンネルが違うから。

私の問いにそう答える方が多かったし、私自身もそれくらいしか
答が浮かばなかったのですが、どうも「モヤモヤ感」が残っていました。

ヒントになったは、かえつ有明の山田先生、コトバンクの小泉さん、
十文字中高の高瀬先生と雑談していた時の山田先生の言葉でした。

「CTと言ったって、切り方によっていくらでも解釈は変わる」

といった内容のお話でした。(飲んでたんで記憶は曖昧)

謎が解けた! ということではありませんし、思索はまだまだ続けるつもりですが、
スーッと腑に落ちた瞬間でした。

簡単に言うと、「自分の通したい主張」が先行して存在していて、根拠となるEvidenceは都合のよい角度から切って用意する…。

これ、私を含め、誰もがついやってしまっていることだと思います。

相手を攻撃する場合にも、自分を守って言い訳する場合にも。
だからこそ、バイアスを極力排し、「ゼロベース思考」することも、もちろん必要で大事だと思います。しかし、それはそれで相当難しい作業です。

また、その「ゼロベース」という条件すら、先行する感情や主張が都合よく設定するものである場合すらあるかもしれません。そもそも「ゼロベース」という条件が現実の世界のどこかに存在するわけでもないですから。

大学時代に好きだった現象学の「現象学的還元」についても、果たしてそんなことが可能なのかと思った記憶があります。生意気にやってるつもりだったのかもしれませんが(笑)。

世界に付与されているあらゆる意味を取り除き、ありのままの世界を見ようとする試み。
アルチュール・ランボーの「見者」のように、固定化された認識の枠や限界の外に出て世界を認識する、なんてことに憧れたこともありますが、そもそもそこで見える景色が本当に「本物の世界」だという保証すらないわけで…。

話が逸れましたので戻します。

LTやCTを重視し、「考える力」を鍛えることは大切だけれども、あらゆる事象やデータの認識に限界があることを忘れず、解釈すら変わりうることを肝に銘じて、自分が信じる正義や真実が何を実現するのかを常に意識しながらスキルを駆使することが大切だと改めて思っています。

で、何でそんなことを言ってるのかいうと、教材や授業を進化させたくて色々学びながら
良いものを作っていきたいという試行錯誤の中で、今、私がまさに直面していることだからです。

Listening / Reading / Writing / Speakingを統合した授業案と教材を考え模索している時に
Parliamentary debate のことを知りました。

http://www.apdaweb.org/old/guide/rules.html

これを参考にWriting / Speaking / Presentationの活動を現状の生徒のレベルに合わせて作れないかと考えたのですが、Argument Structure の構築手順として、ARE(I)という構造が紹介されています。

A: Assertion
R: Reason
E: Evidence (Example)
I: Impact

Debateをやるとなると、自分の考えとして、まずAからスタートし、Rを考え、Eを探すという
手順になります。しかもdebateではAは自分の意見とは限らず、その場で与えられる。

お気づきだと思いますが、どちらの意見も相対化されるので構築力を鍛える訓練としては良いのですが、「相手を斬るためのLT/CT」になりかねない面もあるように思います。

重視すべきは、EによってARが変わりうるということだし、それを謙虚な姿勢で見続けることではないでしょうか?そもそもEを認知するにもLiteracyを鍛える学びが必要です。

Eにばかり気を取られ、ARIを発信出来ないのも問題ですし、ARIをきちんと組み立てるスキルの訓練も絶対に必要だと思います。何より、そこから先、「ともに」行動することが肝心。

 

しかし、Eを謙虚に追いかけ続け、違うEが認められば、ARIを勇気を持って修正、変更することも必要だし、そもそも、対立ではなく協働であれば、ARIをちんけなエゴの存在理由から切り離せばいいのではないか?

そういう学びが実現する教材と授業を作り上げていこうと思っています。

なので、単なるストラクチャーの理解や訓練に止まらない思考力育成の訓練になるような教材を目指して試行錯誤中です。

私1人では難しいので、是非色々な方々の力をお貸して欲しいです。
サンプル出来たら共有しますので、是非一緒にやりましょう!

この年齢になっても、不勉強で学んでこなかったことの多さに愕然としますし、やらなければと思うこともドンドン増えるばかりですが、新しいものを形にすることに取り組む時って
ワクワクします。

ESNがそのワクワクを共有できるネットワークになるようにしたいですね。

年末は、大阪での発表、高瀬先生、山田先生とのワークショップと、連続でお邪魔させて頂きます。

今年も残り僅かです。
多くの方とのご縁を頂いたことに改めて感謝する1年になりました。

来年もよろしくお願い致します。

よいお年を!

この記事を書いた人

ESN英語教育総合研究会

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