鮫島慶太鮫島慶太

2018年 PISA ショック!? fact と opinion

2019年12月3日に発信されたPISA調査について様々な報道や評論がなされている。

「日本の15歳「読解力」15位に後退 デジタル活用進まず」(日本経済新聞2019.12.3)
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO52905290T01C19A2CC1000/

18年調査で日本は全国の高校など183校の1年生約6100人が参加した。
日本の読解力の平均得点は504点で、OECD加盟国の平均(487点)は上回ったものの、
前回から12点下がった。408点未満の低得点層の生徒の割合が全体の16.9%を占め、
15年調査よりも4ポイント増えた。読解力調査では、インターネットで情報が行き交う現状を反映し、ブログなどを読んで解答を選んだり記述したりする内容が出された。文科省によると、日本の生徒は、書いてある内容を理解する力は安定して高かったが、文章の中から必要な情報を探し出す問題が苦手だった。情報が正しいかを評価したり、根拠を示して自分の考え
を説明する問題も低迷した。OECDのシュライヒャー教育・スキル局長は「日本の生徒はデジタル時代の複雑な文章を読むのに慣れていない」とみる。IT(情報技術)機器を扱うスキルが影響したとの見方もある。PISAは15年調査で、紙に手書きで解答する方式からパソコンで入力する方式に変更しており、文科省は「日本の生徒は機器の操作に慣れていないことが影響した可能性がある」とする。OECDが今回の調査と同時に実施したアンケートでは、1週間の授業で「デジタル機器を使用しない」と答えた日本の生徒は、国語が83%、数学が89%、理科が75.9%を占めた。利用率はいずれもOECD加盟国中で最下位で、デジタル活用が進んでいない実態も示した。文科省は今後、情報を精査して自分の考えをまとめて発表したり、多様な文章を読んで生徒同士で話し合ったりする授業に力を入れる。デジタル時代に対応した学力を伸ばすため、小中学校の児童生徒1人あたり1台のパソコンを配備することも目指す。

「PISA調査 日本の読解力低迷、読書習慣の減少も影響か(産経2019.12.3)
https://www.sankei.com/life/news/191203/lif1912030037-n1.html
日本の読解力の順位は、前々回の2012年調査では過去最高の4位だったが、前回の15年は8位、今回は15位と急落した。文科省によれば、小6と中3を対象に毎年実施している全国学力テストなどでは、特に学力低下の傾向はみられないといい、同省担当者は「今回のPISAで読解力がなぜ低下しているのか要因を特定するのは難しい」と話す。考えられる一つは、15年から導入されたパソコンを使ったテスト形式に不慣れなこと。日本の生徒は紙の筆記テストに慣れ、ポイントとなる部分に線を引くなどして思考を深める傾向があるため、パソコンではそれができず、戸惑うケースが多かったとみられる。

 

2018年3月のESN英語教育総合研究会の発表でもお話させて頂きましたが英語民間試験導入や国数の記述問題導入の是非についても、問題を解きもせず多角的な検証もせず、多くのマスコミが記事を書き「英語入試民間試験活用。進まぬ大学の理解」といった見出しが踊りました。

「とにかく情報化の時代、スピード感が大事」といった発信も相変わらず多い。
もちろん、それも必要なことだと思います。
しかし、多くの子どもたちの教育のグランドデザインに関わるようなことについてあまりに安易で幼稚なレベルでの反応がそのまま政策の前提として突き進んでしまうことは現場の教員にとって迷惑なだけではなく、何より子どもたちにとって無責任すぎると思います。

まず、問題くらい解いてみようよと。
この問題に限らず、「一次資料」にすらあたらずになされる発信がしかも大きなメディアからなされることに個人的には最も大きな劣化を感じざるを得ません。

PISAの問題については国立教育政策研究所のサイトに2000年からの情報が整理されています。
https://www.nier.go.jp/kokusai/pisa/index.html

日本の学生が苦戦したという問題を解いてみました。
一部で、
「日本語訳が原文の英語に比べて分かりにくい。これでは日本人が苦戦して当たり前。不利」といったご指摘もあります。

 

このご指摘が当たっているかどうかは、実際に検証してみないとなんとも言えないと思います(課題文訳を変えたら得点が上がるのか?)が、私は課題文の問題というよりも、Critical Thinking Skillの訓練が単に日本ではあまりなされていないのに対して欧米では小学校の教科書レベルから当たり前に課題として取り上げられていることに要因があると見ます。

なぜなら、今回の問題は、RSTなどで確認される「同義文判定」や「係り受け」といった読解の基礎スキルではなく、発信内容がopinionなのかfactなのかを識別させる問題なども含まれているからです。

だから読解力がないわけではないから心配無用とかそういうことにもならないと思います。現在日本で行われている教育を全否定するつもりもありませんが足りないものを足りないと認識し、これからの時代を生きる子どもたちに必要な訓練や教育なのだとしたら、「私たち大人がそういう教育を受けた・受けてない、出来る・出来ない」ではなく、きちんとやらなければならないと思うからです。

私自身はこのPISAで試されているようなCTスキル(Critical Thinking Skill)の訓練は必要だと思っています。ただ、opinion / factの二分法についてはその是非について、アメリカ国内でも議論があります。

2018年の「未来の先生展」やCIEE様のTOEFLアライアンス総会でもご紹介させて頂きましたが、私自身はこの2分法に限界や問題があると考え、授業や教材では4分法を採用しています。

簡単に言うと

① 日本にはたくさん人がいる。  → opinion?
② 日本には300人の人がいる。 → fact?

といった分類に何の意味も感じないからです。

2010年前後に山田先生(ESN英語教育総合研究会CT研究代表)にご教示頂いたのですがfactの定義についても、truthと混同されているケースが多い点に課題を感じます。
sourceが明確であるものがfact。これは真偽とは関係ありません。
上記の②は明らかな間違いですが、仮に「東大A教授は日本には300人いると言った」
とソースが明示されていればfalseではありますが、factとなります。

話をPISAに戻すと、正しい数字などの客観的だと思われる要素が入ってるものをfact、主観的な感情や価値判断を伴う形容詞(manyなど)や助動詞が入ってたらopinionこんな具合に誤解されつつも、欧米では論拠を伴う発信を早い段階から訓練されている。

こうした教育が今の子どもたち、いや私たち大人にとっても必要だと私は強く思います。

ただ、何のために? の部分では葛藤があります。

多くの場合、Logical Thinking Skill や Critical Thinking Skillは

□ 相手の弱点をついて議論を有利に進める
□ 氾濫する情報に欺されない

といったことを目的としているように思えることが多い、というか、ほとんどそういう人にしか会ったことがない。

私自身は、Auburn Universityの研究を参考に以下の4分法を高大の授業で使って指導しています。

① fact ソースが明確なもの
② untested claim ソース不在で情報源を確認すべきもの
③ false claim 常識、専門知識などがあれば誤りと断定出来るもの
④ opinion 意見。筆者の主観

上記の4分法にも限界はあります。
そもそも、「事実などない。あるのはただ解釈だけである」というニーチェの言葉通り、truthが楽観的にあると考えるのはあまりにロマンティックすぎるのかもしれません。

ただ、私が希望を持っているのは、「sourceを提示・共有しようとする試み」そのものです。

まず、ソースの提示義務が書き手にある、とする原則は日本の報道などを見ると徹底すべきかと思います。文学や芸術作品にそんなものを求める必要などありませんが日本人の報道や発信に決定的に欠けているものとして強化されるべきではないでしょうか。(最初に紹介した産経・日経の記事も一部ソースの提示はありますが、そのfactからopinionへの連携はかなり強引に感じます)

この点については、小熊英二さんの最近の発信姿勢に学ぶところが多いです。
彼の本や記事は最近、これを特に意識されてる書き方をされていると感じます。新聞でのコラムなどでもきちんと読む側が判断出来る材料としての一次資料などを提示されてます。これは自分の主張の正当性を根拠とともに発信する姿勢として欧米や学問の世界では当然のことかと思います。

少なくとも『関係者Aによると』とか、散々根拠も示さず自分の意見言った後に、『ということにもなりかねない』式の発信はもういい加減にやめてほしいですね。

そして私が希望を持つのは、sourceの提示・共有が議論の発展の為の手段となりうるからです。

元々利害関係が対立している、価値観が違う当事者同士が議論をする前とした後で何も変わらず、どちらが勝つか、負けるかのみ目指す。CTスキルのこうした使い方は誰も幸せにしない。

相手がなぜそう考えるのか、それぞれが確認し合いながらよりよい関係や世界を創るための共生・共創を目指す第一歩としてfactの意義を認める。
こんな考えは甘いのかも知れませんが、私はそこにCTスキル向上の意義を感じています。

蛇足ですが、関西人の方がよく使う言葉。
「知らんけど」

これ最強ですね。言いたい放題言って、証明放棄。
ただ、不思議なんですよね。言い方によってはなんか暖かく感じる。それは自分の発信はその程度のもんやし、とりあえず食いに行こ、と言われているような気がする・・・こともあるかな(笑)。
ちなみに、「ランキングに一喜一憂するのでなく冷静に受け止めよう」という発信もきちんとあります。私自身も是非参考にすべきかと思います。知らんけど。

https://news.yahoo.co.jp/byline/senoomasatoshi/20191204-00153583/

この記事を書いた人

ESN英語教育総合研究会

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