鮫島慶太鮫島慶太

教員免許は必要・不要?

教員免許は必要・不要?

2022/6/22に土佐の教育研究家の鈴木大裕さんがAbemaTVにご出演されました。

教育界に新風?人手不足に光?“副業先生”
https://abema.app/eiis

※ 見逃し配信用なので、URLの有効期限にご注意下さい。

番組の冒頭では「正規のルートで教員免許を取得していない方」が学校現場で授業を行うことについて、どちらかと言うと賛成派の意見が優勢だったように見えます。

□ 社会人経験の乏しい人間よりも実社会での経験値の高い人間が授業をする方がよい
□ プログラミングをはじめ、現場の教員にはそもそも教えることが出来ないものは特別免許交付で対応せざるを得ない

慎重派の意見としては

□ 教員としての適性が著しく低い人間を学校現場に招くことにならないか

といった声がありました。

鈴木大裕さんの主張は

特別免許交付による社会人活用には反対ではないが、特別免許交付が教員の人手不足の解消法として
考えられている点が大きな課題。
非正規拡大・労働環境劣悪化によって生まれた教員志望者の減少による教員の人手不足の解消は、このやり方では実現しない。

というものでした。

鈴木さんのご主張については、全く同じではないとは思いますが、教育研究家の妹尾昌俊さんのご主張の中で詳しく述べられています。

2022/6/23 東洋経済記事
約2割の小中学校で教員不足の可能性、「社会人採用」は切り札にならない訳
学級担任決まらない、一部の授業できない例も

番組を視聴した私の感想ですが、「特別免許交付を教員の人手不足」の文脈で論じることはお二人が問題視している通りだと思います。

その点を一切考えずに、「商品として高い付加価値のある授業コンテンツ」を提供出来る人材としての魅力ばかりが発信され、人手不足の問題解消として期待値を上げていくことは、現状の様々な教育現場の課題解決を大きく後退させることになりかねない、と私も思います。

ただ、この問題以上に、この議論そのものにモヤモヤしたした感情を抱かざるを得ません。
なぜか?
この議論そのものが、「公教育の再生」に繋がるようにはどうしても思えないからです。

以下、私自身のモヤモヤの正体について2つの点から論じてみたいと思います。

① 教員免許を持っている教員はそんなに立派なのか?

この点については鈴木さんも番組の中で「教員免許を持っている教員が偉いわけではない」と述べていらっしゃいますし、多くの方々が共有されている考えではないでしょうか?

鈴木さんが番組でご指摘になっているように、免許のみならず。現在の日本は教員がリスペクトされているとは言いがたい状況です。教員の資質についても教員免許についても、その価値を高く評価する国民は少数であるように思います。

では、なぜそのような現状が生まれているのか?

ここが議論の中で(限られた時間だったからでしょうが)全く触れられていなかったのが残念です。

そもそも、教員免許は、教員養成系の大学や学部で学ぶ学生を除けば、専門分野の単位に教職系の授業をいくつか取ればそれで取得出来ます。もちろん、30年以上前に私が取得した時代よりも、現在では特別支援学校での実習やその他の福祉施設での実習も必要になっていますし、教職系の授業も増えているのが現状です。

それでも、教員が現場で必要とする基本的なスキルや、そもそも教育関係の法規、教員の労働についてのコンプライアンスなどを十分に学べているでしょうか?
こうした学びの場を教員免許取得の前にも後にも充実すべきなのに、それが進んでいるとは思えない。

労基法すら読んだことがないという管理職も私の知る限り珍しくもなんともありません。
授業や生徒との面談においても、多くの先生方は恐らく我流で生徒達から多くを学びながら手探りで行っているのではないでしょうか?

また、仮に大学の4年間でどんなに勉強したとしても、時代は常に変化しています。
発達心理学や脳科学の進歩も日進月歩です。
免許を取得して現場に立った後でも、学ぶことは日々生まれていくのです。

要するに、リスペクトされるような教員を持つ国にしたいのであれば、免許を持ち続けることがそれなりの価値を持つような仕組みを作らなければならない。ならば、教員が学ぶ環境も含めて保証されなければならないと思います。

ところが現状は残念ながら、それらは保証などされていないことが多い。
学びを継続することが現場の一人一人の教員の努力として一方的に求められる。
教員免許状更新制度では、質の低い教材を購入させられた挙げ句、ロクなコンテンツではないものも
多い。それも自腹で受講を強要される。
苦労して書いたレポートにミミズが這ったような字でコメントにもならないコメントを返された時には、誰のための更新制度なのかと怒りを覚えました。

そもそも、既に疲弊しきっている現場教員には更にUpdateのための学びを求めることも酷でしょうし、
だからこそ自己肯定感を折られて辞めていく教員も後を絶たないし、新規の教員のなり手もドンドンいなくなってしまう。

そして、ここが一番言いたいのですが、これは何も教員に限ったことではない、ということが教員の苦境を訴える当事者の意識にも弱いのではないかと感じること、これがモヤモヤの大きな要因です。

② 大人が学ばない・学べない日本社会

日本のリカレント教育は世界最低!?
スウェーデン、デンマーク、中国に学ぶ21世紀の人材戦略 2019.02.01
https://www.bbt757.com/business/article/article/20190118-191319/

GDPに占める企業の能力開発費の割合の国際比較について
https://www.mhlw.go.jp/wp/hakusyo/roudou/18/backdata/2-1-13.html

日本社会は教育にお金を掛けずに優秀な教員、優秀な人材を欲しがる。
日本企業は教育にお金を掛けずに優秀な人材を欲しがる。

上記の国際比較の資料からもそれは明らかではないでしょうか?

しかし、教育現場が

教育だけにお金を掛ける、教員だけがリスペクトされる構造を再構成する

という発信をしても現実は変わるのか?

それは、もはや市民社会の支持を得ることは出来ないでしょう。

大学の先生方にも研究には無条件にお金をという方々がいらっしゃいますが、もちろん研究の社会的意義は十分に理解しますが、それが支持される社会状況に今の日本があるとは思えません。

芸術にお金を掛けろ、一次産業や二次産業に金を使っている場合か、という趣旨の発言が炎上しましたが、それも当然ではないでしょうか?

教育・研究・芸術がそれなりに存在意義を認められる社会を創ることは、それぞれのポジショントークや縄張り争いの先に行けなければ恐らく無理なのではないかと思います。

「自分の居場所にだけお金が投じられる」ことを求め「自分以外のどこかにお金が投じられること」に厳しく対応。

そうしたスタンスを我々大人が続けた結果、日本社会は「市民社会の支持」がどこにも成立しえないという社会にドンドン近づいているように思います。

そんな中では、資本主義の弱肉強食・自己責任が進むのは当たり前・・・。

誰もが学ぶ権利を、Updateし続けられる機会を得る権利を再配分の一部として享受出来る社会

その全体最適化なしに教員の問題だけを論じても恐らく変わらないのではないか?

このモヤモヤとはこの先も長く付き合うことになりそうです。

この記事を書いた人

ESN英語教育総合研究会

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