国公立大後期日程試験も終わりました。
中高六年間担当してきた
かわいい教え子達の闘いが終わりました。
(来年また頑張る子達もいますが)
自分自身のことだけで言えば
ただ、ただ、ただ力不足を痛感するのみです。
今年の結果は、私にとって数字ではなく一人一人のドラマ。
例年に比べてどうとか、他校と比べてどうということでなく一人一人の教え子たちの勝負の結果。
そう考えると、申し訳なさ、悔しさがこみあげてきます。
生徒1人1人が持っているポテンシャルを
生身の人間として関わることで
どう引き出し、どう育てるか?
方法論や時代の要請は変化しても
教育の根っこは変わらない。
未熟で幼い時期に、
自分の中から意志を引き出せない子には
恨まれても、嫌われても
頭より先に行動させるために
自己を律する力を持って貰う為に
鬼になってでも無理やりでも
努力することを覚えさせる。
もちろん、
学ぶ楽しさに目覚めさせる努力も必要。
1人1人が考えることの楽しさを味わい
知ることの喜びを感じ
世界を広げることの魅力を覚え
そうしたものを宝に出来る心を持つ
子どもに求めるだけでなく、学び続ける
姿勢も見てもらうことで、学ぶことの楽しさを共有したい。
子どもに求めるだけでなく、考え悩む姿も
敢えて隠さないことで、学ぶことの厳しさも知って欲しい。
この六年間の、特に初期を振り返ってみて
自分自身の教員としての仕事を
冷静に振り返った時
今の私には達成感など微塵もなく
ただあるのは後悔のみです。
鬼と言われた20代の私を知っている昔の生徒が今の私を見たら
笑ってしまうかな、それとも怒られるかな
それとも、具合でも悪いんですかと心配されるかも(笑)。
徹底することが出来なかったですね。
二中高時代の6ヵ年もそうですが、
生徒が素直でかわいすぎた。(生徒のせいではないですが)
しかも、直観力が鋭く、人の懐に飛び込んでくるエネルギーが
私ごときにコントロール出来るレベルではなかった、かな。
過去に通用したやり方がどんどん通用しなくなる…。
どの世界でも当たり前のことで、だからこそ「俺の時は・・・」
と軽く昔話をする教員を私は心の底から軽蔑します。
自律力・行動力をつけ、習慣レベルで意識せずに出来る能力を高める。
これを実現するのに、もはや厳しく接するだけでは駄目なんでしょうね。
少なくとも、今の私では昔のやり方では実現出来ない。
だとすると、自分を律する力をつけてもらうには
どうしたらいいか?どのようなやり方があるのか?
放置して自分で気づくまで待つか、失敗させる機会を
あえて仕掛ける工夫をするか…。
それとも、もっと別のやり方があるのか?
個人ではなく、集団としてのワークが必要なのか?
ICTの時代だから出来る別の方法があるのか?
高校3年生になっても、大事な日に遅刻したり
大事な書類をなくしたり、朝自分で起きれなかったり。
大一番の勝負で自分を出し切れなかったり。
そんな風に変われない子たちを目の前にして
分からないことばかり。自分が情けないです。
こんなに素晴らしい子たちなのに力になれない。
でも、挫折感で一杯の今の私ですが
まだ、出来るうちは教員を続けるつもりです。
私がいつまでも後悔や無力感で立ち上がらなければ
それこそ私が伸ばしてあげられなかった生徒たちに申し訳ない。
受験はゴールではなく、1つの経験。
彼女たちの答えは私ではなく、彼女たち自身が創るのを
期待するしかありません。
私も進化します。新しい季節に向かって頑張ろう!