石川一郎氏の「2020年の大学入試問題」(講談社現代新書)
で紹介されていた2015年順天堂大医学部の小論文の問題
を参考に、オリジナルで似たような問題を作成してみました。
2015年 順天堂大医学部小論文問題
キングスクロス駅の写真を見て、感じるところを
800字以内で述べる問題。
そして私が作成した問題
下の絵は1938年に描かれたサルバドール・ダリの「山の湖」(Mountain Lake)という作品です。あなたの感じるところを自由に述べなさい。
作成は簡単。
模範解答作成も簡単。
難しいのはどう採点するか?
論理的思考力はともかく、
批判的思考力、創造的思考力なるものは果たして
数値化可能なのだろうか?
まだまだ考えてみないと答えは出ない。
ちなみに私の作成した模範解答は以下の通り。
皆さんは、この絵から何を感じ、何を語りますか?
<模範解答>
日常生活の中で、あるいは自然という空間の中で、電話機と湖が混在する風景など世界中どこを探しても皆無であろう。そういう意味で、この絵は日常を超えた非日常的な、非現実的な空間を表現していると言える。しかし、不思議なことに、この絵は見る者の心になぜか日常的で現実的な大きな「悲哀」の感情を掻き立てるのではないだろうか。
絵の中央に表現されている電話の受話器は、電話機本体ではなく、地面に突き刺さった物干し台の棒のようなものに掛けられている。山の中の湖はかなり干上がっており、ゴツゴツとした醜いありのままの姿をさらけ出しているようにも見える。湖とともに描かれている山の風景の中にも、どこを探しても生き物の姿はなく、山の稜線は激しく尖り、絵の全体に殺伐とした空気が広がっている。私はこの絵の中に人間という存在が本質的に背負っている、どうしようもない孤独の悲哀を感じる。湖は他と断絶した地形的特徴から文学の世界では他者と繋がることが出来ない個の存在、つまり孤独の象徴として用いられることもあるが、この絵の中のかわいた湖も満たされることのない人間の深い孤独感を表現しているのではないか。人は一人で生まれ、一人で死んでいく孤独な存在である。多くの人と関わり、日常生活の様々な雑事に忙殺され、寂しさを忘れていたとしても、人間の存在そのものの入口と出口に、個として誕生し、個として死んでいくという宿命を背負っている限り、孤独ではない人間など存在しない。それでもこの絵の中の受話器と絵の外の世界を繋ぐ電線は外の世界へと通じている。電話機本体を持たないこの電話は機能しないのであろうか。この電線は絵の外の世界と繋がっているのであろうか。たとえ繋がっていたとしても、湖そのものが他者と交わることはないのかもしれない。湖という孤独な存在が他と繋がり満たされることはないのかもしれない。しかし、この風景の外へと伸びる電線に、他者との関わりを求める人間の根源的な渇望を感じざるを得ないのである。(830字)
<高3生へのメッセージ>
皆さんは、ダリの絵に何を感じましたか?芸術の鑑賞に様々なものを持ちこむのは正しいことではなく、絵は絵として映画は映画として、音楽はただ音楽としてそのまま感じればよいのだと思います。なので、今回のように芸術批評のようなことをするのはあまり好きではありませんし、そもそも言葉で絵の素晴らしさを表現出来るのであれば、作者自身が絵ではなく言葉で表現することを選んでいるはず(評論家どもは偉そうなこと言う前に自分で表現すればと思うので評論には興味ない)。ただ、「新しい時代の新しい学力(こんなものが何を実現するのかには私自身はかなり懐疑的なんですけどね)」なんてものを、意表をついて出題される君たち受験生は、自分の感情や意見を、論理的に創造的に表現することを求められますし、受験で問われなくとも、今後の人生ではあらゆる場面で「自分はどう考えるか?」が問われることになるでしょう。それが出来なければ、どんな言い訳をしたところで他者に流されてしまったり、情報に翻弄され社会全体の中で個を埋没させて生きてしまうことにだってなりかねません。