「普通科文系の終焉」をどう読むか――文科省・合田氏の講演に触れて

先日の私の発表内容と関連することが多かったので、合田氏の発信について少し触れておきます。

先日、教育業界メディア「リシード」が、文部科学省高等教育局長・合田哲雄氏のEDIX東京での基調講演を伝えていました(「【EDIX2026】とりあえず普通科文系の終焉…文科省 合田氏」)。先日のFENでの発表や、その後の反省ブログで「教育と社会の不整合」を考えてきた私にとって、この講演はまさに正面からぶつかる内容で、自分の考えを点検するよい機会になりました。読みながら考えたことを書いておきます。

目次

まず、深く共感したこと

意外に思われるかもしれませんが、この講演の結びの部分には、私はほとんど全面的に共感しました。合田氏は、次代を担う子どもたちへの「大人の責任」について、こう語っています。大人がかつての自分の経験や古い相場観を優先し、子どもの進路を無意識に誘導してしまうのは、激変する未来を生きる彼らへの責任ある態度とは言い難い、と。そして「学びを止めた人が影響力を行使するようになった瞬間に老害が生じる」「それは年齢の問題ではなく、学びへの姿勢の問題である」という知人の言葉を引いて、講演を締めくくっています。

これは、私が先日の発表や反省ブログで書いたこと――大人は子どもに偉そうにできる存在ではない、自分も学び続ける姿を見せなければならない――と、ほとんど同じことを言っているように感じました。文部科学省の高官が、公の場でこうした自戒を語っていること自体に、私は希望のようなものを感じます。ここは率直に、我が意を得たり、という思いでした。かなり激しくうなづいた部分です(笑)。

事実として認めるべきこと――理系人材の不足は本当

そのうえで、講演の本論についても、まず事実として認めるべきところを認めたいと思います。

合田氏が引く「2040年に大卒・院卒の文系人材は76万人余り、理系人材は124万人不足する」という数字。これは経済産業省の「2040年の就業構造推計(改訂版)」(2026年3月)に基づくもので、確かに存在します。理系人材、とりわけAI・ロボットの利活用を担う専門職や、地域の現場を支える人材が今後大きく不足していくという見立て自体は、複数の政府資料で一貫して示されており、私はこれを否定する材料を持っていません。

そして、地方に関する合田氏の指摘も重い。理系人材の不足は東京圏も含めて全地域で生じる一方、地方では製造現場やエッセンシャル産業を支える現場人材の不足がとりわけ深刻だとされています。これは、私が反省ブログで「自分の視野が首都圏・大学受験層に偏っていた」と書いたことと、まさに重なる論点です。私の発表を聞いてくれた一人からも、「首都圏私大で理系枠を拡大すればするほど、地方は苦しくなる」という声がありました。地方の理系人材が流出すれば、地域の産業基盤そのものが崩れる。合田氏が地方大学を「地域を支える最後の砦」と位置づけ、知事と学長が人材需要を共有するコンソーシアムを説くのは、方向として理解できます。

文理の壁そのものへの批判も、私は賛成です。「女子は文系」「早めに理数を捨てて3科目の偏差値を上げる」という相場観が、本人にとっても社会にとっても桎梏になっている、という指摘。とりわけ、理数の力があるのにバイアスで理系を避けてしまう女子学生の問題は、女子教育に関わる者として、看過できない論点です。これは実は国際比較すればすぐに分かりますが、女子の問題だけでなく、男子でも言えることです。中学・高校・大学と進むにつれて、理系がドンドン水漏れして少なくなっていく。数理・デジタルの素養をもった人文社会の学びを、という理念それ自体にも、全く異論はありません。一つ加えるとすれば、AIなどの情報的な素養は、データサイエンス学部などではなく、全学部共通で取り組むべきものだとも思います。

ここまでは、認めるべきこととして、はっきり認めておきたいと思います。

それでも引っかかること――「未来推計からの逆算」という構造

そのうえで、どうしても引っかかることがあります。それは、結論の中身ではなく、その結論の導き方です。

私はFENの発表で、Society 5.0をはじめとする政策言説を、「解像度の低い未来像から逆算して教育を設計している」と批判しました。今回の構想は、どうしても、その最新版に見えてしまうのです。

合田氏は、高校の理系シェアを27%から39%へ、大学の理工農系を22%から35%へ引き上げ、逆に文系を大幅に縮小するというポートフォリオを示しました。その根拠が、先ほどの「124万人不足」という推計です。けれど、この数字には注意すべき性質があります。

ひとつ、これは確定値ではなく、経産省自身が「数値精査中の暫定版」と断っているものです。ふたつ、「十分な国内投資や産業構造転換が実現すると前提した場合」という、政策が成功した未来を前提に逆算された試算です。みっつ、初版(2025年6月)では文系の余剰は約30万人とされていたものが、改訂版ではいきなり76〜80万人へと跳ね上がっています。わずか半年あまりで、数字が倍以上に動いているのです。

私が発表で問うたのは、まさにこの点でした。変わりうる未来推計から逆算して、子どもたちの進路の枠を国が割り振る。その推計が外れたとき、あるいは前提が崩れたとき、文系を選ばなかった子、理系に押し出された子の人生は、誰が引き受けるのか。記事自身も「このような推計は生成AIの飛躍的進化の中で変化するものである」と認めています。変化することがわかっている数字を根拠に、高校・大学のシェアを設計する。これは、私が最も慎重であるべきだと考えてきたやり方です。もちろん、国家の運営を考える立場にある人達が危機感を持つのは私なりに分かるつもりです。しかし、私の父親世代でも、「歴史が好きだけど、理系人材が必要だと親に言われて理系に行ったけど、大学入学後に辞めて文系の大学に入りなおした」という人はいました。これは例外的な事例なのか、「お国のために」という思想が残っていたからかどうか、それは分かりません。ただ、進路の選択はあくまで本人のものである以上、大人がやるべきことは、ポートフォリオによる誘導ではなく、そちらに可能性を感じて興味を持ってそこへ進む若者が増えるための環境整備の方ではないでしょうか?これは地方創生にも同じことは言えると思います。地方が大変、それは分かりますが、では若者が残りたくなるような共同体であるのか?自分たちは変わらず、大変だからと子ども達の人生は強引に誘導する。もちろん、それだって死活問題だと言われればその通りですが、それならそれでもう少し上手くやらなければ若者は魅力を感じないと思います。

もうひとつ引っかかること――受け皿の保証はあるのか

そして、私が反省ブログで自分の柱として確かめたことが、ここでもそのまま当てはまります。

私は「越境が報われる機序がないのに越境を煽るのは危うい」と書きました。それは今回、「理系が報われる保証がないのに理系を煽るのは危うい」と、そのまま置き換えられます。

理系人材が不足するというのは、裏を返せば「足りないから安く買い叩かれずに済む」という保証では必ずしもありません。エッセンシャルワークがその典型です。社会に不可欠で、しかも不足しているにもかかわらず、低賃金と過酷な労働条件が放置されている。「不足しているから報われる」という単純な話ではないことを、私たちはすでに知っています。理系へ、現場へ、と子どもたちを促すのであれば、その先にその努力がきちんと報われる労働市場が整っているのか。そこの保証とセットでなければ、結局は同じことの繰り返しになりはしないか。そういう危惧を持たざるを得ません。

合田氏は文系を全否定しているわけではなく、数理デジタルの素養をもった人文社会の学びを、と述べています。そこは誤解してはいけないと思います。理念としては、私はこの講演にかなりの部分で賛成です。問題は、その正しい理念を、「唯一解」として上から割り当てる手法に置き換えてしまったときに生じる危うさなのです。

私が考えること

理系人材が足りないことは事実です。文理の壁が子どもたちを縛ってきたことも事実です。だから、理系という選択肢を広げ、女子が理数を諦めずに済む環境を整えることには、私は賛成します。

ただ、それは「だから普通科文系は終わりだ」「これからは理系だ」と、新しい相場観を上から配るということではないはずです。それでは、かつて「文系は3科目でつぶしが効く」という相場観で子どもを誘導してきたことと、向きが変わっただけで、構造は同じです。合田氏自身が戒めた「古い相場観で子どもの進路を誘導する大人」に、「新しい相場観」で同じことをしてしまう危うさが、ここにはあると思います。

私たち教員が子どもたちとともに考えるべきなのは、「これからは理系だ」という新しい正解を渡すことではなく、多様な生き方や価値観があること、そしてそれが社会の中できちんと保障されているのかを、ともに問い続けることなのだと思います。理系を選んだ子が報われる社会を、文系を選んだ子が活きる社会を、地方に残る子が誇りを持てる社会を、どうやって作っていくのか。教育の中身を組み替える前に、あるいは少なくとも同時に、その受け皿を問わなければならない。

合田氏の講演に深く共感しながら、同時に強く引っかかったのは、まさにこの一点でした。理念は間違っているとは思わない。けれど、受け皿の保証と、上からの割り当てという手法に、私はやはり慎重でありたいと思います。そしてその慎重さは、合田氏自身が語った「学び続ける大人であれ」という言葉と、決して矛盾しないと信じています。

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