鮫島慶太鮫島慶太

人間に近いアンドロイドを追究すれば、人間理解が進む!?

https://forbesjapan.com/articles/detail/23573?fbclid=IwAR0dHenkqLQ3TcW4Cnn-znf6u06HlGbWB6Y9vOolYYZsEmCv3fOi0Jgw-BUあるイベントで、大阪大学石黒先生を知ってしまったことで最近、アンドロイドと人間というテーマで考えることが多くなりました。こうやって新しいことを知って考えたり学んだりすることが楽しいうちは、生きているのかな?と思うことにしています(笑)。上記のリンクの記事も面白い。先日の宗教家との対話でも話題になってました。テクノロジーの進化が人間観をドンドン変えていくというお話。ただ、一つだけ疑問が生まれた。石黒先生のおっしゃることへの疑問ではなく私の中でふと生まれた疑問。私達の『経験(生きていることそのもの)』『記憶』『データ・記録』は果たして同一のものなのか?写真や映像を見て、それを経験と同一視する人はいないと思います。『経験』とは決して定着出来ないもの。そして全体として部分に還元出来ないもの。昔好きだった福永武彦の『草の花』の中にもあったように記憶してますが、定着不可能なものを必死で定着させようとする人の心の哀しさ。しかし、記録媒体の多くが進化していけば、更に純度の高い『データ・記録』は可能になるでしょう。それらは、『記憶』と、もしかしたら区別が出来ないものにまで高まるのかも知れません。いや、間違いなく「記録」の方が「記憶」を質で凌駕するでしょうね。そうした『データ』を内在化したアンドロイドが誕生した時、果たしてそのアンドロイドとオリジナルは同一のものと言えるのかどうか?自己中心性(自分の内部から生きていること)の問題もそうですが、私の中では考え始めると眠れなくなる疑問が一つ増えました。しかし、石黒先生って面白い方だなぁと思います。人間が生きていくうちに「記憶」の方はドンドン消えていったりします。少なくとも走馬灯を見るまでは日常の生活で見えるところからは消えているのかな?その忘却が生物に必要ということから考えると、『経験(生きていることそのもの』は『記憶』『記録』の軸に向かう物ではないものなのかも知れませんね。

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