鮫島慶太鮫島慶太

卒業式後の話② (ある英詩の解説:本年度最後の英語授業)

卒業式後のHRで、18~20歳の頃に書いた私の詩を
英語でアレンジした作品を使って、今年最後の英語の授業
をしました。保護者もいらっしゃったので、緊張しましたが(笑)。

まず、詩の本文から…。

Let yourself go with the running scenery
Go on a journey without a camera

Just chasing the flowing clouds
The train is running

Instead of believing in God
Stretch out your arms and keep shouting out

There’s no heaven anywhere
So keep singing and know you’re alive

Don’t make any excuses.
Live your dream now!
Let yourself go with the running scenery
Go on a journey without wiping your tears

Open the window and a new wind will come
The train is running

The sky is flowing by
The land is flowing by
People are flowing by
The world is turning around

Even if you have your dreams dashed
Your life will shine even in the dark

You who can’t love yourself
Can forgive yourself with a new wind

Let yourself go with the running scenery
Go on a journey without being ashamed of yourself

Open the window and a new light will come in
The train is running

Holding an old album and closing your eyes
Doesn’t help you live for the future
Passing through a dark tunnel
A new scene will come

Let yourself go with the running scenery
Go on a journey with open eyes

Open your heart and you can see the road stretching ahead
The train is running
2016.3.18
From Keita Samejima

日記のように書いていた断片的な言葉から、当時の自分が
何を考えていたのか、ぼんやりとですが思い出されます。

翻訳しながら(というか元々日本語ですが)、解説してみます。

【翻訳】
走る景色に身を任せ
カメラ持たずに旅に出よう
流れる雲をただ追いかけ
汽車は走る

<解説>

卒業式で檀上に向かって礼をした後、振り返る生徒達
遠くなっていく生徒の背中を見つめながら
時が止まって欲しいと感じました。

どんなに楽しい瞬間も、どんなに苦しい瞬間も
時の流れには逆らえず、「無常」なのですが
人は、「定着」を求め、写真を撮る。

そうした人の弱さは切なく、愛すべきものですが
「記録すること」「定着すること」「とめること」
によって得たものを集めるような生き方は
本末転倒ではないか?

時には、カメラを持たず、
目の前の現実をしっかり見て、
観て、生の全てを世界に繋げる

現実は流れる雲のように不確かな仮象のようなものであっても
それをしっかり追いかける汽車のように
人生を生きていこう

といったことを表現しました。
【翻訳】
神様なんて信じてないで
手を伸ばして叫び続けよう
天国なんてどこにもないから
歌い続けて世界感じよう(生きていることを感じよう)

<解説>
So keep singing and know you’re alive
の箇所は英語では意訳するしかないかなと思い
表現を変えました。

この箇所は宗教の否定ではありません。

「神」は自分の外にある大きな頼れる存在。
でも、そんなものに身を任せては駄目だという
メッセージをこめてあります。

「手を伸ばして、叫び続ける」は
安易に他者に頼って、「生」を生きる苦痛から逃げるのではなく
必死で生きていこうという決意

「歌い続けて世界感じよう」は
自分を表現するように生きることで
世界を感じられるという文字通りの意味
【翻訳】
夢を生きた証なんて
生きることをやめる言い訳さ

<解説>
Don’t make any excuses.
Live your dream now!

と英語にしましたが、
このあたりが翻訳の難しいところですね。

英語の方が直接的な言い方になってしまいました。
日本語を直訳するとどうしても意味不明の英語になります。

「生きた」ことを、「今生きないこと」の言い訳にするな
ということです。

【翻訳】
走る景色に身を任せ
涙拭かずに旅に出よう
窓をあければ新しい風
汽車は走る

<解説>
「窓」は「自己と世界を繋ぐ接点」を象徴してます。

自分を閉ざすことがなければ、新しい風は入ってくる。
そして、人生は生き続ける限り、まだまだ続く。

【翻訳】
空は流れる
大地も流れる
人も流れる
世界は回る

翼むしられ
足をもがれても
闇の中でも
命は輝く

<解説>

前半は解説不要でよう。生生流転。
後半は翻訳が難しかったですね。

Even if you have your dreams dashed
Your life will shine even in the dark

と訳しましたが、英語の方が説明的になりすぎて
どうもね(^_^;)。

【翻訳】
好きになれない自分だって
新しい風の中で許せるさ

<解説>

今でも多少そうですが、私自身、自分のことを
なかなか好きになれず、許せないこともしばしばあります。

でも、いつかきっと、自分を閉ざすことなく開いていれば
自分を好きになれる日がくる、許せる日がくる
20歳前後の私がこうした感性を持っていたのはよく覚えています。
今よりももっと激しく、もっと苦しんでいたなぁ。

世の中には「自分大好き」というすごい人(皮肉でなく)もいます。
でも「自分が好きになれない人」には大きな変化のエネルギーが眠っています。

「変わりたい」と強く思うことが、「進化」「成長」に繋がる
という認識は今も変わらないですし、だからこそ、自分が嫌いで
苦しんでいる若者には大きな可能性を感じてしまいます。

【翻訳】
走る景色に身を任せ
何にも恥じずに旅に出よう

窓を開けば新しい光
汽車は走る

<解説>
この辺は、卒業式のメッセージにするために
詩に盛り込んだ部分です。

実は、このメッセージ、1年以上かけて
少しずつ完成させたものです。

私にそんな力があるかどうか分かりませんが
教え子たちの長い人生で、辛いとき、迷った時に
力を与えられる「ことば」「こころ」を表現したいと
思ったので…。

母が人生に苦しんでいた時期があった
ようですが、何の前触れもなく、祖母が電話してきたそうです。

何も恥じることはない。
子どもも犯罪者などにならず立派に生きてる。
胸を張って生きろ
下を向くな

祖母は雪山のような孤高の美しさを持つ人で
小さい頃に遊びに行って話をしたりすることは出来ても
簡単に私などが内面に近づけるような人ではなかったですが
その祖母の優しい言葉は、母にとっては「救い」だったのでしょう。

私には、人を救うような深さがあるとはとても思えませんが
でも、少しでも「救い」になってくれればと表現しました。

【翻訳】
古いアルバム抱きしめて
目を閉じても
意味なんか見えない

暗いトンネル抜けたら
そうさ 世界は変わる

<解説>
「今」が辛いときに思い出にひたることは
悪いことではない。でも、「過去」を抱きしめても
「未来」を生きる力にはならないし、
「生きている意味」は前を向いて今を生きないと生まれない。

哲学者ベルグソンの創造的進化という本を当時読んでいて
思いついた言葉だったような記憶があります。

【翻訳】
走る景色に身を任せ
目を開いて旅に出よう

心ひらけば広がる道
汽車は走る

<解説>
「窓」の比喩を、「目」「心」に変化させて
同じことを表現しているだけです。

この詩は、私が創ったものですが
読む人が変われば、解釈は人それぞれ。

でも、願いはシンプルです。

しっかり生きて、幸せになって欲しい。

この記事を書いた人

ESN英語教育総合研究会

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