櫻井翔さん主演の日テレドラマ「先に生まれただけの僕」の中で「アクティヴラーニング」や “Instructional Design”が紹介されていて興味深く視聴させて貰った。
http://www.ntv.co.jp/sakiboku/index.html
私の感想の結論は、
表面的過ぎる内容でAL(アクティヴラーニング)に対する誤解が広がるので、
どうせドラマで取り上げるなら、きちんと取材なり勉強してからにして欲しい。
ということになる。
が、全否定するわけではなく、何が問題点なのかを考えることが有意義だと
感じたので取り上げてみたいと思う。
まずドラマ第3話の中でALにまつわる話の概要は以下の通り。
① 急な退職者が出て、臨時で授業補填をする素人校長の鳴海校長(櫻井翔さん)がALを
数学の授業で実践。「教えるのではなく生徒自身が教え合う」授業運営を試みるが
「全員問題解答」という目標には到達出来ず、失敗したと校長は落ち込む。
② 瀬戸康史さんが演じる英語教師が、「アクティヴラーニング」には必要な方法論があり
それは Instructional Design であるとし、以下の③のような授業を展開する。
③ 二枚の絵を使ったPair Work。There is ~ / There are ~ の文を用いて二人で
英語のやり取りをしながら、お互いに絵の違いを発見していくという活動。
④ 生徒は「授業が楽しかった」と言い、でも「AIが発達して通訳が瞬時に出来る時代が来るのに何故英語を学ばなければならないのか?」という疑問を英語教師にぶつける。
⑤ 少子高齢化、労働人口減少などの要因で日本のグローバル化は避けられず、ネット情報の半数が英語という時代。将来の日本人にとって英語は重要な「生きる力」の1つだと教員は答える。
実は、私自身、田原真人さんが主宰する「反転授業の研究(フェイスブック)」の末席に
加えて頂いている身である。田原さんのように、ALに対して幅広い教養も知識もないが
それでも、ドラマでの扱われ方には深刻な課題が多いように感じた。
まず、①の櫻井校長のAL授業。素人がネット検索から一夜漬けした程度で出来る授業としては
実にリアルに描かれていたように思う。これなら誰でも出来るレベルだ。
だが、当然失敗する・・・。が、本当に失敗なのか?
教員が設定した「目標」に生徒が到達しないことを「失敗」と断じてしまうのは
方法論がどんなものであっても、正しい認識ではない。
教員、生徒両方が「設定目標」に到達しない挫折だって、貴重な「経験」である。
また、「授業」の成功を、「単発の授業の目標到達」で評価することも安易であろう。
ここでは、むしろ、「授業で設定した目標」の妥当性を課題にすべきだったと思う。
「1問解ける=ゴール」という目標設定自体が悪いのではなく、その授業のゴールが
何に繋がっているのかが学習者、教育者に共有されていないことが問題。
だからこそ、最後に生まれる生徒側の疑問、「これが出来て何になるの?」は
必然だと感じた。その疑問の必然性と授業との繋がりこそ本質として描くべきだったのでは?
次に②③の Instructional Design を土台にしたという瀬戸さんの授業について。
③の授業は、中学1年生の英語授業の中で私自身が行ったことがあるもの。
珍しい活動ではなく、準備も実践も簡単だ。
ま、少なくとも、高校2年生の英語授業ではありえない、といったツッコミは置いといて
あれは、ただの「活動」であり、それだけでは「学び」とは言えない。
だから、Active Learningと呼べる代物ではない。
あれをActive Learningだと解釈する誤解が保護者、教員、社会全体に
広がれば、ちょっと大げさだが、日本の教育は崩壊しかねない。
今の生徒たちの中には、「人の話を聞く」のが本当に苦手な生徒が少なくない。
瀬戸さんが演じた授業は、「学問において致命的とも言える人の話を聞けないという欠点を抱えた生徒を寝かせない方法」
であり、あれをActive Learning として広めていくのなら、日本中で「活動あって学びなし」
(元堀川高校校長荒瀬先生の言葉)の授業が蔓延することになるだろう。
何が問題なのか?実はそれを考えることが、ALについての考察を深めることに繋がると考える。
Instructional Design について、私は専門的に学んだことはないが
簡単に言えば、「生徒がActive Learner になる仕掛け」のことだと解釈している。
瀬戸さんの演じた授業の問題点だと私が感じたのは以下の通り。
1)授業の目標設定が明確ではない
⇒ だから最後に「楽しかったけど、何のためにやってるの?」と問われる
2)学習者が目標到達したかどうかの確認がない
⇒ たとえ出鱈目な英語をずっと使っていても修正の機会すらない
3)単発の授業が次の授業とどう繋がるかが見えない
もちろん、日々行っている私自身の授業も欠陥だらけである。
私自身を含む多くの教員が抱える課題とここで挙げた課題は重なるところがあり、
その点については後述するが、ここでは瀬戸さんの演じた授業についてのみ話を進めてみる。
瀬戸さん演じる教員は少なくとも以下の点をまず生徒と共有して授業すべきであった。
□ 活動が、「情報のギャップ」を埋める意思疎通に必要な伝達スキルを鍛える訓練であること。
□ 多少間違った英語でも、英語を発話する機会を持つことが重要であること。
□ 共有するバックグラウンドが大きく、「ギャップ」が極めて小さい同級生にすら伝わらないのであれば、共有するバックグラウンドが小さく、「ギャップ」が大きい外国人との会話では伝わらない。語学力、伝達力に大きな欠陥があることを確認し、それを具体的に改善することが必要であること。
もちろん、上記のような言葉では伝わらないので、そこにも工夫が必要である。
そして、授業でのやり取りを録音するなどして教材化し、何が間違っているのか、伝達法のどこに問題があるのかを明確にして「学び」に繋げることこそが必要である。「やりっぱなし」の授業では、「学び」にはならない。
ここで、現場の課題も明確になる。
仮にフィードバックを実施するなら、一人の会話が3分だとしても、20組(40人クラス)だとそれだけで60分となり聞くだけで1時間が終わってしまう。7組(14人クラス)だと21分。これらを同一授業内で消化するのか、次の授業の教材として活用するのかによるが、フィードバックを実施するなら、これがギリギリの人数だと思う。
イギリスでのTeacher Training プログラムに参加した時、ドイツ、ラトビア、ポーランドなど多くの英語教員と情報交換したが語学の授業で40名を超えるクラスサイズだという日本の現状を話すと、例外なく「信じられない」というリアクションが返ってきた。
また、こうしたフィードバックを含めた授業デザインを実行するには、学期ごとの到達目標などといった大雑把な計画では実行不可能だ。しかし現状、私自身出来ていない。
「ブラック企業化」した、「非本来業務」や「不毛な会議」が増加する現在の学校現場では、可能なのは一部の学校の一部の教員に限られるだろう。ALを叫ぶ教育行政側にその問題意識があるとは思えないのが残念であり大きな問題である。ここを課題として大きく取り上げて欲しかった。ま、ドラマではなくなってしまいますし、ますます視聴率も落ちそうですけどどね(笑)。
さて最後に、④⑤のやり取りについて。
お気づきになった方も多いかもしれませんが
瀬戸先生、全く生徒の質問に答えていません(笑)。
生徒「AIが瞬時に通訳する時代が来るのに何故英語を学ばなければいけないの?」
先生「少子高齢化、労働人口減少、移民増加が必然の時代。ネットの半数の情報も英語。だから学ばないといけない」
先生の答えがトンチンカンであることも問題だが、それより問題なのは
「学ぶ理由が分からない時には学ばなくてもよい」という前提に立って話を
している点で生徒と先生が同じ土俵に立ってしまっている点。
「解なき時代」と言われる時代に教育は変わらなければならないと語る教育関係者は多いが
「解なき時代」なら(いや今だけでなく昔からそうだが)、「何故学ぶのか?」の解など
どこにもないことこそ伝えておかなければならないのではないか?。
「そんなこと私にも分からない。その答えは私も君たちも自分で創るんだ。甘えるな!」
それだけで良かったと私は思う。
ちなみに、瀬戸先生の解答は、近年教育行政に口を出している「経済界の言い分」そのものであり、そこにもぞっとする気持ち悪さを私自身は感じてしまった。
だから、入試問題がSPI化することに何の問題も感じない教育関係者が多いのだろう。
いずれにしても、ただのドラマのエピソードだったが、私としては考える材料を提供して貰えたことに感謝したい。
最後まで読んで下さった方、ありがとうございます。