教育現場は、なぜここまで追い詰められたのか ――文科省批判では届かない、日本の教育をめぐる統治構造の変化 ⑥

学校は本当に「古い」のか――社会との照応関係を問い直す
前回は、教育改革において文科省だけでなく、学術も現場教員もまた、公教育というコモンズに対する当事者であったことを確認しました。では、その先に何を考えるべきなのか。最終回へ進む前に、どうしても整理しておかなければならない問いがあります。

学校は本当に「時代遅れ」なのか。教育は社会の変化に取り残されているのか。

「学校は古い」「教育は遅れている」これらは、もはや説明抜きで通用する常套句になっています。校則、指導、評価、授業、行事――学校で行われていることの多くが、「社会ではもう通用しない」と批判されます。しかし、その批判は本当に妥当なのでしょうか。

学校で「古い」とされるものは、社会では捨てられたのか

学校で問題視されがちな指導や価値観について、私は一度立ち止まって考えたいと思います。それらの多くは、本当に社会の側ではすでに放棄された価値観なのでしょうか。

たとえば、

  • 指示のない行動を慎むこと
  • 求められた範囲を厳密に守ること
  • 専門外の知識や判断を避けること
  • 努力を量で測ること
  • 時間厳守を人格評価と結びつけること
  • 上位者の誤りを公に指摘しないこと

これらは学校特有の「悪習」でしょうか。むしろ、多くは今なお社会のさまざまな場面で共有されている行動規範ではないでしょうか。

「勝手に動くな」は「権限なき判断はリスクである」に、
「求められた以上をするな」は「仕様から外れるな」に、
「習っていない知識を使うな」は「資格や肩書きの裏付けがない発言は信用されない」に置き換えられます。

量による努力評価や時間厳守も、日本型雇用や組織文化と強く結びついています。もし社会が本当にそれらを手放しているのなら、学校も自然に変わっていくはずです。 

学校は「遅れている」のではない

ここから見えてくるのは、学校が社会から取り残されているというよりも、社会が本音では手放していない価値観を、学校に引き受けさせ続けてきたという構図です。

社会は自らには「現実はそう簡単に変えられない」「理想と現実は違う」と言いながら、その矛盾を学校に押し付ける。

そして学校は、社会で通用してきた価値観を子どもに伝えながら、同時に「それは古い」と批判される。この二重拘束の中で、学校だけが「変われない存在」として断罪されてきたのではないでしょうか。

「学校改革」を声高に叫びながら、「大人も一緒に変わる」という視点がどれほど共有されてきたのか。私はそこに強い違和感を覚えます。

社会は本当に「変わった」のか

ここで、学校と社会の変化を同時に捉える視点が必要になります。社会の変化を縦軸、学校の変化を横軸に取り、四象限で考えてみると、単純な対立図式が成り立たないことが分かります。

  • ハラスメントへの厳しさや不正への透明性は、社会も学校も変わってきた(まだまだ不十分ですが)
  • ジェンダーや多様性については、学校の方が先に変化を求められてきた
  • シチズンシップや異議申し立て、意思決定への参加といった点では、社会も学校も十分に変われていない
  • 能力評価や年齢・序列と結びついた到達度評価は、社会では相対化されつつあるが、学校には制度として残り続けている

要するに、社会が果たせていない課題を、学校に代行させてきたという構図が見えてきます。

「主体性」をめぐる最大の矛盾

この文脈で、財界から繰り返し語られる「主体性を育てよ」という要求を考えてみたいと思います。

企業が求める主体性とは、多くの場合、組織や資本の論理に沿って自律的に動く能力であり、その前提自体を問い直す主体性ではありません。異議を唱え、ルールの正当性を問う主体性は、歓迎されない。にもかかわらず、その矛盾は語られないまま、学校には「主体性教育」が要求され続けてきました。これは教育の問題というより、社会の自己矛盾の投影にほかなりません。

学校は社会の鏡である

学校は、社会から切り離された異物ではありません。むしろ、社会が変えきれなかった価値観や、手放せなかった規範を、もっとも露骨な形で保存してきた空間です。だからこそ、学校だけを叩いても問題は解決しない。教育から社会が変わるのではなく、社会が変わらなければ教育も変われない。

大人が変わらないまま、子どもだけに変化を要求する限り、「学校は古い」という言葉は、自己免責として機能し続けるでしょう。

次回はいよいよ最終回です。ここまでの議論を踏まえ、「公教育」というコモンズをどう捉え直すべきか。その問いに、できるだけ逃げずに向き合いたいと思います。

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