教育現場は、なぜここまで追い詰められたのか ――文科省批判では届かない、日本の教育をめぐる統治構造の変化 ⑦

文科省が壊してきた――
日本の公教育をめぐる議論は、しばしばそのように単純化されてきました。しかし本連載で見てきたように、実際には、財界・政界・学術・市民社会・現場教員が、それぞれの立場から公教育に関与し、その総体として現在の状況が生まれていると私は考えています。

誰か一人が悪者だったわけではない。しかし、誰もが無関係だったわけでもない。
学校は、社会から切り離された異物ではありません。むしろ、社会が手放せなかった価値観や矛盾を、最も濃縮したかたちで引き受けてきた場所でした。
では、この先、公教育をどう扱うべきなのか。崩壊を嘆くことでも、過去に戻ることでもなく、私たちは何を前提に考え直す必要があるのでしょうか。

教育現場はいかにして「自律」を取り戻しうるのか

ここまで本連載では、日本の教育改革が、

・文科省の独断でも
・現場教員の努力不足でもなく

国家・財界・市民社会・学術・行政が絡み合った統治構造の転換として進んできたことを見てきました。

では、この巨大な構造の中で、教育現場はどのようにして「自律」を取り戻すことができるのでしょうか。結論から言えば、それは改革案を提示することでも、理想的な教育論を掲げることでもありません。まず必要なのは、「引き受けること」と「引き受けないこと」を制度的に線引きする力だと私は考えます。

1.「自律」とは、自由裁量の拡大ではない

まず、誤解を解いておく必要があります。ここで言う「自律」とは、

・好きな教育ができること
・現場の裁量を無限に広げること

ではありません。

むしろ逆です。自律とは、自分たちが引き受けられない責任を、引き受けないと宣言できる状態を指します。

現在の教育現場が置かれているのは、

・目的は社会が決める
・評価基準も社会が決める
・しかし失敗の責任は現場が負う

という、極めて不安定な構造です。

この状態で「もっと頑張れ」「工夫しろ」と言われても、それは自律ではなく、自己責任化にすぎません。

2.現場が回復すべきは「意味の主権」である

教育現場が最初に取り戻すべきものは、予算や人員も重要ですが、それに劣らず、意味を定義する権限です。

たとえば、

・「探究とは何のためにあるのか」
・「この活動は、誰の人生のどの局面に資するのか」

こうした問いに対し、現場が自分の言葉で説明できない教育は、いずれ必ず疲弊します。

重要なのは、それが社会にとって役に立つかどうかだけではありません。それがこの年齢の目の前の子ども達一人一人にとって、今、必要かどうかという基準を、現場が語れるかどうかです。意味を語れない現場は、必ず評価と成果の言語に回収されます。

3.「全部やる」から「やらないことを決める」へ

自律の第二条件は、教育の引き算を引き受けることです。

これまでの教育改革は、

・英語も
・情報も
・探究も
・キャリア教育も

すべて「重要」であるという前提で積み上げられてきました。しかし、時間・人・専門性が有限である以上、これは論理的に破綻しています。

現場が自律するとは、

・これはやる
・これはやらない
・これは学校では担えない

と、明示的に線を引くことです。それは決して無責任ではありません。むしろ、すべてを担えるふりをすることの方が、社会に対して不誠実です。

4.学術・行政との「健全な緊張関係」を取り戻す

学術や行政は、本来、現場の敵ではありません。問題は、役割分担が崩れていることです。

・学術は、理論と可能性を示す
・行政は、制度として翻訳する
・現場は、実装の可否を判断する

この最後の判断が、いつの間にか現場から奪われてきました。自律とは、学術や行政に反抗することではありません。「それは理論としては理解できるが、今の制度条件では引き受けられない」と、根拠をもって言える関係を回復することです。

5.「公教育」を一つに再生しようとしない

ここで、最も重要な点があります。

公教育を、単一のモデルとして再生させることは不可能です。

戻れないものは戻らない。
役割を終えた学校が崩壊していくことを、無理に止める必要はありません。それは、そこにいる子どもや教員を切り捨てるという意味ではありません。役割を終えた「制度」を固定化して延命させない、という意味です。

必要なのは、不要になったものが終わり、その代わりに新しいものが生まれ続ける構造をつくることです。

他の国のように教員を大学院卒にして、社会の中で尊敬されるようにしようという意見もありますが、私はその意見にも懐疑的です。なぜなら、大学院卒を尊敬する価値観も多様な価値観の中の一つにすぎません。私たちは「学問を修めた人たち」だけに育てて貰ったわけではないと思います。

文科省の役割を「統治」から「審査」へ

そのとき文科省は、上からルールを示し、権威を背景に現場に発信する存在であり続けるべきではありません。

文科省が担うべき役割は、「それが公教育として最低限ふさわしいかどうか」を審査し、その判断を市民に可視化することです。重要なのは、文科省が「正解」を示すことではなく、市民が議論できる判断材料を公開し続けることです。子ども達の安心安全はもちろんのこと、成長する場としてふさわしいかどうかをきちんと見ること。教育は机上の空論ではないのですから。

一律の正解を示すのではなく、最低保障の条件を示し、多様な実践を並べる。それが、これからの教育行政に求められる姿だと考えます。その際、国が担うべきは、市民として社会に参画するための「最低限の基礎学力」と「生存の権利」が、どのルートを選んでも保障されるよう厳密に審査・可視化することです。複線化とは教育の放り出しではなく、どんな尖った学校を選んでも将来の選択肢が不当に狭められないセーフティネットを、公費で担保することを意味します。

公教育の複線化へ

その中で、普通科という仕組みも見直されるべきでしょう。

・プログラミングや英語に振り切った学校
・やりたいことが見つからない生徒に刺激を与える学校
・エッセンシャルワークを身につける学校

こうした多様な学校が、流動性を確保しながら、公教育として並立する。それらは優劣の序列ではなく、異なる役割として並立される必要があります。大学への資金集中とは逆に、高校までの多様な生き方を、国民全体で差別せずに支える。また、年齢に関係なく、人生のいつからでも戻れる場として設計し直す。

それは一気に変える改革ではありません。
役割を失った学校を、別のコンセプトで組み直していく、
動的平衡としての再編です。

結語:自律とは「覚悟」の別名である

自律とは、

・できないことを引き受けない覚悟
・意味を自分たちの言葉で語る覚悟
・市場原理で展開される教育と、公教育として保障すべき教育を切り分ける覚悟
 ――つまり、財界が資金を出し自由に展開する教育と、公費で保障すべき教育を混同しない覚悟

を、現場が持つことです。

教育は万能ではありません。
だからこそ、公共の営みとして守る価値があります。

本連載が、公教育の崩壊の意味を冷静に見つめ、新たな公教育を組み直すための思考の足場になれば幸いです。

連載を終えて(編集後記)

ここで書いたことは、「こうすればうまくいく」という処方箋ではありません。ただ、「何が教育をここまで苦しくしてきたのか」について、責任の所在を正確に描くことはできたと思っています。
自律は、突然手に入るものではない。しかし、構造を理解した現場から、少しずつ取り戻されていくものです。

ここから先は、教育関係者も教員も、一人一人が現場の言葉で続けていくしかないと思います。「この国に生まれたから安心だね」と言えるような社会になるように、私自身もまた、この構造の一部として考え続けていきたいと思います。

自律は、巨大な改革を待つことではなく、明日からの授業で、目の前の生徒に本当に必要だと思う言葉を自分の責任で自分の言葉で選び直すという、小さな「越境」から始まるように思います。その積み重ねが、やがて巨大な社会という構造に風穴を開ける力になると信じています。属人性を全て放棄してしまうことは、教職に限らず、生そのものを否定することになってしまうのかも知れません。

※ 属人性…。私はある方とのお話で繰り返し考えるようになりました。今ここに自分が生きている意味。教員がそこに依存し過ぎることは危険ですし、教員に限らず同じことは言えるのかも知れません。しかし、AIもドンドン進んでいく時代だからこそ、動的平衡の中で自分が生きている意味を求め続けることは、より重要になっていくのだと思います。現場の一教員の発信を最後までお読みいただき、ありがとうございました。事実誤認その他があるかも知れませんが、この先も学び続けていこうと思っています。まず今日という日が素晴らしい一日になりますように。

この記事を書いた人

アバター

esn

この記事と同じカテゴリーの記事

探究研究

教育現場は、なぜここまで追い詰められたのか ――文科省批判では届かない、日本の教育をめぐる統治構造の変化 ⑥

探究研究

教育現場は、なぜここまで追い詰められたのか ――文科省批判では届かない、日本の教育をめぐる統治構造の変化 ⑤

探究研究

教育現場は、なぜここまで追い詰められたのか ――文科省批判では届かない、日本の教育をめぐる統治構造の変化 ④

  • ESN Facebook
  • STUDY

研究情報カテゴリの記事

教育現場は、なぜここまで追い詰められたのか ――文科省批…

教育現場は、なぜここまで追い詰められたのか ――文科省批…

教育現場は、なぜここまで追い詰められたのか ――文科省批…

教育現場は、なぜここまで追い詰められたのか ――文科省批…

教育現場は、なぜここまで追い詰められたのか ――文科省批…

教育現場は、なぜここまで追い詰められたのか ――文科省批…

教育現場は、なぜここまで追い詰められたのか ――文科省批…

女子教育研究会FEN 第22回 オンライン学習会 ​​…

2026共通テスト 国語・現代文の「問いの妥当性」を素材…