他者からの理解を求める欲求は
誰もが持つ根源的な欲求だろう。
もう何年も前の
生徒との保健室での会話
体調が悪いわけでもないのに
暗い表情で塞ぎ込んだ様子
養護教諭をはじめ
色んな先生が声を掛ける
色んな言葉で励ます
でも動かない
目に光は感じられない
話をしてみた
大変だね
親も先生も友達も
みんな一生懸命に
君に声を掛けるでしょ?
家に帰れば親
あなたの支えになりたい!
お母さんの心配を分かって!
お父さんの考えを分かって!
教室行けば心配してくれる友達
あなたの癒やしになりたい!
みんなが心配してるの分かって!
授業では先生
あなたの能力を伸ばしたい!
教える内容を分かって!
目に光が戻る
やっと分かってくれる人がいた!
先生だけです!
私の気持ち分かってくれた!
いやいや、私はそんなに偉くない
そっか、
君もやっぱり分かって欲しいわけだ!
な、それは悪い気持ちじゃない。
親も友達も先生も君自身も私も
皆が持ってるもの
人を許さず、自分だけ特別は
ないんじゃないの?
笑いで終われた
きっと疲れていただけ
誰も悪くない
Fact or Opinion?
Critical Thinkingは
自己と他者を明確に二元論で分け
自己と世界を明確に二元論で分け
相互の違いと一致を確認する
世界と他者を要素で分解し理解する
君の意見はXだね。
X1は事実、X2以降は意見
X1は認めよう。
X2も私の価値観、利益と一致する。
だが、X3とX4については
事実の裏付けがなく
再確認、再考、再検討、再構築を
要する。
X3、X4については私のY3、Y4を
代案として提案したい
これを自己利益を求めてやりあえば
CTはただ欧米に有利なルール以上の
ものではなくなる
相互理解の深化を目指して
CTはある場面では有効なツール
ある場面では凶器となる
プラグマティズムに毒され
現象の連続を実証とみなし
時間をかけて解を求めることを放棄し
未知のものを排除し
自己の利益実現のみを求める
そこに欠けているのは
誰もが持つ理解されたい欲求への
理解と許しではないか?
未知なるものへの解は
手を取り合って
創るべきものだ
量子論は言う
世界は観察者で姿を変える
Opinionと無縁なFactも
Factと無縁なOpinionもない。
数量化可能なものだけの世界
記号化可能なものだけの世界
そんなものは
ただの神話だ