今回は、私自身の小学生時代を材料に考えてみました。
「アクティヴラーニング」という言葉が流行っている。
職員会議でも、「今の時代ではアクティヴラーニングの実践が必要。
皆さん、是非チャレンジして下さい」といった発信を聞くようになった。
気になるのは、まるで「よい授業の条件」として「アクティヴラーニング」
が捉えられていることだ。
逆に言うと、その捉え方そのものが、実は「アクティヴラーニング」を
表面的な授業形態、目に見えるものとして捉えている浅薄な意識を
露呈しているようで残念な気持ちになるのは私だけだろうか?
私が小学生の頃、つまり、1970年代の中ごろだが、
発表授業というものがあった。
記憶に残っているのは2つ。
1つは、影絵の発表。小学校3年か4年の時。
脚本・演出は私がやった。それぞれの役を決めてオリジナルの影絵劇を
生徒だけで創り上げた。ストーリーは覚えていないが、色々な動物を登場人物にして
クラスメートのキャラに合わせて割り振った記憶がある。
楽しかったという思い出はあるが、細部までは思い出せない。
それでも、「知識」ではなく「経験」という貴重な宝を与えて
頂いたことに感謝している。
もう1つは、歴史の授業。小学校4年か5年の時。
班毎にテーマを決め、OHPを使いながら
生徒が発表型の授業を行うものだ。
私たちの班のテーマは「聖徳太子」。
今でも記憶に残っている。
アクティヴラーニングとは何か?を考える際には
私はこうした自分の経験を出発点に考えることにしている。
仮に先生が指導法を工夫して「聖徳太子」のことを教えてくれたとしても
なかなか「記憶」に残らなかったかもしれない。
アクティヴラーニングの最大のメリットは、「発表」というゴール
よりも、「発表に至る過程」と「発表後に定着する知識」にこそあるのではないか?
高校時代(1985)に保健の授業でも発表型の授業があったが
「発表」そのものは原稿棒読みに近いひどいものだったと記憶しているが
「睡眠」をテーマに「寝る子は育つ」という言葉の真偽を調査学習した
ことはよく覚えている。成長ホルモンの分泌が睡眠時に行われるというもの。
教員からただ教わる、というだけでは、もしかしたら興味も持てず、知識も定着しなかった
かもしれない。
要するに・・・
最近、アクティヴラーニングが流行っていて、授業形態・様子などが
クローズアップされていますけど、そこじゃないのでは?
ということです。つまり、教員からの知識伝達よりも遥かに多くのことが
身についた生徒の方に注目しないと、アクティヴラーニングの成果なんて
分からないのではないかと思います。
教員や授業風景ばかりが取り沙汰されているうちは
単なるブームでしかないのかなと思う今日この頃でした。