NEWS鮫島慶太

責任と権限の分離の結果 人であろうとする個人をメディアはどう扱うのか?

 

“条例にない休暇”勝手に作り…教職員に付与 「7年前から。勤務が長くなる教職員への配慮だった」名古屋市立学校の校長 減給6か月の懲戒処分 

https://newsdig.tbs.co.jp/articles/-/2543396?fbclid=IwY2xjawQqE4pleHRuA2FlbQIxMQBzcnRjBmFwcF9pZBAyMjIwMzkxNzg4MjAwODkyAAEeyl5IRoFZtztMFGPri2r4PFo72vFRhxvMB_Jbg89UWH4MMKAbEBLFuvYa0yg_aem_p8fzB0_kj2FFZWeQcTsJig

公立の場合と私立の場合は違う。
 
私立であれば、就業規則としてルール化すれば問題にならないケースも多い。
しかし公立は公務員であり、制度上それは許されない。それは理解している。
公立は「裁量よりも統一性」を優先する仕組みだからだ。この校長も、そのことを分かった上で覚悟してやってきたのだと思う。
だからこそ、この件は単純に「ルール違反だからダメ」と切り捨ててよい話ではない。私は、この校長の行為を全面的に否定する気にはなれない。むしろ問うべきは別のところにある。

なぜ、校長がルールを逸脱しなければ教職員を守れない状況が続いてきたのか。なぜ、現場の疲弊はこれほど長く放置されてきたのか。
責任と権限が分離された現場では、人間としての判断が制度によって制限される。それ自体は、組織運営上、一定の合理性がある。しかし、その代わりに、権限を持つ側が現場の実態を把握し、改善する責任を負うはずだ。
では、その権限を持つ側は何をしてきたのか。
現場が明らかに疲弊し、持続不可能な状況に近づいている中で、どれだけ実効性のある対応が取られてきたのか。
この点について、行政や制度設計の側の責任は、十分に問われているだろうか。また、メディアはこの構造的問題にどこまで踏み込んでいるだろうか。
今回の件は、一人の校長の処分の是非だけで終わらせるべきではない。
制度と現場の乖離が限界に近づいていることを示す事例として捉えるべきだと思う。

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