教育現場は、なぜここまで追い詰められたのか ――文科省批判では届かない、日本の教育をめぐる統治構造の変化 ②

前回の記事では、文科省がしばしば「絶対的な権威」として受け止められてきた一方で、その多くが現場の忖度や責任回避、制度上のねじれによって過大化した「影」である可能性について整理しました。
では、現場を具体的に混乱させてきた政策――たとえば英語民間試験の活用構想は、いったいどこから生まれたのでしょうか。
「また文科省が余計なことを……」と嘆く前に、一度その火元を、感情ではなく構造として確認してみたいと思います。

1.現場の「視野」をアップデートする

教育改革をめぐる議論では、「文科省が新しい改革を始めた」という理解が前提になりがちです。しかし、その見方だけでは、現状を十分に説明できません。

教育政策は、文科省という単独の組織によって動かされているわけではないからです。

実際には、教育を動かす力は、次のような多層的な構造の中で形成されています。

  • 政治:国家としての方向性や優先順位
  • 官邸:経済成長戦略・国際競争力の文脈
  • 経済界:産業界が求める人材像・スキル
  • 学術:理論的正当性や専門的言語の供給
  • 市民社会:教育を公共サービスとして受け取る側の期待と不安

文科省は、これらが交差する地点で、制度として成立する形にまとめる役割を担っています。

2.発火点は「霞が関」ではなかった

英語教育改革、とりわけ「民間試験活用」という構想の起点を辿ると、文科省よりも前に、別の場所に行き着きます。

経済界と官邸による「グローバル人材」要求

2000年代以降、日本経済の停滞に危機感を抱いた経済界は、「国際競争力の低下の背景には、英語教育の在り方がある」という問題意識を、繰り返し表明してきました。

たとえば、経済団体連合会は2000年の提言で、次のように述べています。

「大学入試センター試験において、英語のリスニングテストをできるだけ早く実施すべきである。
また、各大学が個別に実施する入学試験においても、英語のコミュニケーション能力を重視することが重要である。」

(経済団体連合会『グローバル化時代の人材育成について』2000年)

現在私たちが直面している英語教育改革の骨格は、少なくとも20年以上前から、経済界の側で構想されていたことが分かります。

3.「誰のための教育か」というコスト論の欠如

ここで、どうしても避けて通れない問いがあります。

経済界が理想とする「実用的英語教育」のコストは、一体誰が負担するべきだったのか。

統計上、経団連に加盟する大企業の従業員は、日本の全労働者の25%前後にとどまっています。一方で、付加価値ベースで見ると、大企業部門が日本経済全体の50%前後を生み出していることも、各種統計から確認できます。

この対比は、大企業セクターが日本経済において重要な役割を果たしていることを示すと同時に、その論理がそのまま公教育全体に適用されるべきかという、別の問いを私たちに突きつけます。

  • 家庭による外部投入(塾、留学、検定費用など)が暗黙の前提になっていないか
  • 公教育が担うべき「最低保障」を逸脱していないか

もし、特定の産業セクターが望む人材像を実現したいのであれば、その追加的コストを誰が、どのように負担するのかについて、社会的合意が不可欠だったはずです。

公教育という公共財を、特定のニーズに合わせて設計し直すのであれば、その正当性と負担の在り方を、市民社会に対して丁寧に説明する責任がありました。

4.文科省は「翻訳者」の役割を引き受けた

文科省は、こうした要求に対して、当初から積極的だったわけではありません。しかし、官邸と経済界の結びつきが強まる中で、最終的にそれらの要請を教育制度の言葉へ翻訳する役割を引き受けることになります。

  • 経済界の要請
     → 「CEFR」「4技能統合」「民間試験活用」といった政策言語へ

現場に届く通知は、常に文科省名義です。そのため教員の目には、「文科省が決めた改革」に見えてしまいます。

しかし、構造を整理すると、次のようになります。

  • 構想の発信源:経済界・官邸
  • 制度化・文言化:文科省
  • 理論的正当化:学術(4技能重視の研究潮流)
  • 実装と負担:現場の教員と生徒

文科省は、要求を制度として成立させる「翻訳者」の位置に立たされていました。

5.2019年の抗議が照らし出したもの

2019年、英語民間試験導入の中止を求めて、高校生や教員が文科省前で抗議の声を上げました。
「公平性が担保されない」という訴えは、制度設計上も極めて重要な問題提起でした。

ただ、その矛先は主に文科省に向けられ、構想の出発点である経済界や、それを理論面で支えた学術的言説への検証は、相対的に弱かったように見えます。

公教育は、一部の利害関係者の利益を最大化するための装置ではありません。
「誰一人取り残さない」という最低保障を果たすためにこそ、税金は投入されるべきです。

結論:叩くべきは「翻訳者」ではない

文科省を叩き続けても、問題の核心には辿り着きません。
文科省は多くの場合、「上」から与えられた原稿を、教育制度として成立する形に整える翻訳者に過ぎないからです。

もし、この国の教育の筋書きに違和感を覚えるのであれば、問われるべきは、

  • その物語を書いた原作者
  • それを無批判に通してきた出版システム(政治・学術・世論)

ではないでしょうか。

教育を「政治的な問題にするな」と距離を取ってきた学術界、
自らの都合で公教育を作り替えようとした経済界、
そして、その構造を見えにくくしてきた私たち自身。

この多重構造を理解しない限り、私たちはこれからも「見当違いの敵」と戦い続けることになるでしょう。

次回は、現在進行形で進む「プログラミング教育」や「文系入試における数学」を巡り、文科省がどのような立場に置かれているのかを、同じ視点から考えていきます。

📚 出典・参考文献

  • 経済団体連合会(2000)『グローバル化時代の人材育成について』
  • 朝日新聞(2019年9月13日付)「入試改革中止求め高校生らデモ」
  • 総務省「労働力調査」
  • 中小企業庁『中小企業白書』

(編集後記)

「英語が話せるようになれば経済が良くなる」という単純な物語に、私たちは長く付き合いすぎてきたのかもしれません。次回は、ITや数学を巡る新たな「原作」についても考えてみましょう。

※ 共通テストへの民間英語試験の導入が話題になっていた時に、私に新しい視野・視点を与えてくれたのは関西のK.Nさんです。もしこの方との出逢いがなければ、今の私の課題意識は全く違ったものになっていたかもしれません。有馬温泉で直接お会いしましたが、闘病中で、少しでも回復されることを心からお祈り申し上げます。

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