ドキュメンタリー番組制作に関わる中できづいた「女性の声の伝わりづらさ」
【日時】 8月3日(土)20:00~21:30
【形式】 Zoom オンライン開催
【登壇者】中里雅子氏
【司会】板敷香子氏(女子教育研究会FEN コアメンバー)
【登壇者プロフィール】1975年生まれ。NHK(日本放送協会)で20年以上、フリーランスリサーチャーとして主にドキュメンタリー番組の制作業務に関わる。二児の母。
コアメンバーの板敷ヨシコ様( 女性社会研究所 代表)よりご紹介頂き、中里様にご登壇頂きました。タイトルから私が勝手に誤解していたのですが、「番組制作に関わる女性スタッフの声が組織や現場で無視された」というお話ではありませんでした。
「写真花嫁」という日系アメリカ人の女性達をテーマにした番組制作を行おうとした際に、必死に一次資料にあたり取材を試みたが、当時の「女性の声」が記録として十分に残っておらず、番組制作ができなかったという経験から、そもそも「歴史」が「男性の声と言葉」で綴られている現実を課題として痛切に認識せざるを得ないというお話でした。
中里様の発表は、まず、そもそも「番組」として成立させるために何が必要なのか?ということについての説明から始まりました。例えば、私たちは911テロ事件や第二次世界大戦における原爆を特集した番組を頻繁に目にしています。こうした番組がなぜ繰り返し作られるのかというと、そこには「新撮」「資料映像」「写真」「ニュース記事(公的なもの)」「記録(個人的なもの)」が存在しているからです。多くはアメリカの軍や大学に資料がきちんと残されています。また、アクセスしやすいのもアメリカ発のものが圧倒的に多いのも現実です。番組がアメリカや日米関係をテーマにしたものに偏っているのも、制作者側の意図というよりは、記録や資料があるから番組が作れるのだということをご教示頂きました。
私たちは何気なく番組を視聴しながら、「報道が偏っている」と感じたりすることが多いですが、もちろん、制作者側の意図や何らかの圧力でそうなっていることもあるのでしょうが、それ以上に、Factをベースにした番組作り、特にドキュメンタリーにおいては、一次資料が豊富にあること、一次資料の利用が可能なことが絶対条件であり、アメリカに偏ったドキュメンタリーという私たちの何気ない印象の裏にはそうした事情があることを知りました。
しかし、中里様が制作したかった「写真花嫁」をテーマにした番組では、その一次資料が豊富にあるわけではなかったということです。例えば、Wikipediaで検索してみると日系人の強制収容の記事の中に「写真花嫁」の記述は、1987年、小説『写真花嫁』- ヨシコ・ウチダ著の紹介があるだけです。映画・演劇などについて調べてみても、日系アメリカ人がテーマのTVドラマ、舞台、小説、劇映画、漫画 というサイトでは「写真花嫁」をテーマにしたものは見当たりませんし、「日系アメリカ人強制収容 ドキュメンタリー」で検索しても、「天皇への忠誠を捨てるか?」「第442連隊:二世と呼ばれた日本人兵士」など国家への忠誠や兵士の目線でのものばかりです。(注)中里様からは、「写真花嫁」としてアメリカに渡り移民として暮らした祖母の物語 についてのご紹介がありました。
中里様は「写真花嫁」の研究をされている柳澤幾美先生への取材を通して一次資料にあたりました。研究としては、量的調査法によって客観的とされる=従来の正史の研究対象ではなくとも、質的調査法としてのオーラル・ヒストリーとして十分に研究対象として成立しています。資料として残されているインタビューの録音なども26件ほど存在しています。しかし、ドキュメンタリー番組としてこれを取り上げるには、日記や手記などが残されておらず、1人1人の肉声の量が十分ではないことから、断念せざるを得なかったということでした。
番組として残すことはできなかったとしても、中里様がその記録の中で知ったことは、「写真花嫁」に対してのイメージを大きく変えるものでした。
その記録からは「写真花嫁=奴隷」という声は見当たらず、日本の伝統的な「家」の厳格さから「海外逃亡」し自由を求める女性としての「写真花嫁」という実像が伺えたということです。
「日本にいる時の女性の人生」とは違う自由の体験という証言が多数でてくることに驚いたそうです。
①自分の時間・三食つき・安くても賃金が出る
②失われていた教育への参加
③趣味や娯楽
④奉仕・慈善・宗教活動・社会活動など
当時としては、どれも日本国内では望むことすら思いつかなかったことが、写真花嫁として新天地に渡った女性には体験できた。もちろん、「写真花嫁」として渡った女性達の全てが満足のいく人生を送った訳ではないのかも知れませんが、記録に残されている当時の女性達の肉声が、「令和の日本」を生きる女性の心に刺さってしまう現実。朝日新聞で「わたしが日本を出た理由」(2023年1月~)という連載記事が話題になっていますが、ここで語られる日本を出る女性の声と、強制収容という過酷な歴史を生きた女性達の声が驚くほどシンクロしているという事実。令和の時代においても、日本では状況は変わっていないのではないか?変わっていることがあるとすれば、当時は十分に残されていなかった「私の声」が今の日本では記録として蓄積されているということ、なのかも知れません。
45分ほどの発表でしたが、参加者からは「NHKのドキュメンタリーを見ているようだった」「中里様の試み自体がドキュメンタリーのようだった」という声が聞かれました。「女子校の社会科の教員として歴史や思想を教える時、女性のロールモデルが乏しいという現実、どういう言葉で歴史や思想を語るべきなのかを悩まざるを得ない」という吉野先生(FEN顧問)の言葉からも、歴史が「権力の座にある男性」の側から語られてきた現実を改めて痛感しました。
また、日本におけるマイノリティの運動が分断化しやすいという現実からも、「女性」に限定せず、あらゆるマイノリティの視点を尊重する運動の連帯を強く呼びかける声も上がりました。
国家にせよ、組織にせよ、「権力の座にある人間がやりやすいように、望むように」構造ができてしまうことで、「声」として残るのは一部の人間のものに偏ってきたのかも知れません。しかし、「記録」が残せる時代だからこそ、これからも繋がっていく人間の歴史が少しでもよい方向に進むように、私たちはあらゆる「声」を大切に繋いでいく必要があるのだと考えさせられました。
この記事を書いた人
esn